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「断捨離」で見えたもの


タイトル:「断捨離」で見えたもの
担当:松下 由衣
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こんにちは。エキサイトカウンセラーの松下です。
今回のコラムでは、ちょっと前に私が体験したことを書きたいと思います。

以前から話題の「断捨離」。
不要なものを捨てることで、物への執着から開放されより自由に生きられる、という考え方に基づいているそうです。

私もブームに乗って、この断捨離にチャレンジしました。
とりあえず服を整理しようと思ってタンスを漁っていると、以前買ったまま着ていなかった服が、タグの付いた状態でぞくぞく出てきました。
それぞれに悩みながら買った、思い入れのある服たちなのですが・・・

どうも私は、買ったばかりの服に袖を通すことに抵抗があるようです。
たいていワンシーズンはそのまま保管し、翌年になったらようやく着る気分になる、という状態でした。(蛇足ですが、「寝かせる」と呼んでいました)
新品同様ですが、実際は昨年ものなので、ちょっと流行遅れになることもたびたびありました。


欲しくて買ったはずなのに、すぐに着ないのはなぜ?

買った後に好みが変わったわけでもありません。
もったいないのかな?とも思いましたが、翌年になると、躊躇していたのが嘘のように着られるのです。


なぜだろう?と疑問に思い、試しに買ったばかりの服を着て夫に見せてみました。
「いいじゃんそれ!いつもそういうの着ていればいいのに。」
「何で昨日、それ着なかったの?」
(前日食事に行っていた。もちろん寝かせた服で・・・)

そこで気づきました。
流行の服を着ること、そして人からほめられることを自分に許していなかったことに。
自分を必要以上に低く見て、「あなたは価値がないから、流行に合っていない、古い服を着るべきである」という足かせをはめていたことに。


すっきりした私を見て、夫はわけがわからないといった顔をしていましたが。


それ以来、少しづつですが、服を寝かせることなく着られるようになりました。

断捨離を通じて、意外な自分の潜在意識に気づいた体験でした。
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by exkokoro | 2011-07-22 15:50 | 生活・生き方 | Comments(0)

マルだけの世界との出会い


タイトル:私をカウンセリングに導いた出会い【マルだけの世界との出会い】
担当:舞原 惠美
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ものごころついた時から、ずっと「なぜ」「どうして」を発し続けていたような気がします。
「なんで寒くなると木の葉は落ちるの?」
「なんで花には赤や黄色やいろいろな色があるの?」
「なんで水にぬれると色が変わって見えるの?」

いつも散歩に連れて行ってくれていた祖母は
「いちいちうるさいなぁ、この子は。なんでなんでって。どうでもいいことばっかり!」

「なんで足でドアを開けたらあかんの?」
「なんで歩きながらアイスクリームを食べたらあかんの?」

父は怒って、「理屈ばっかり言うな。はい、って親の言うことを聞いてたらいいねん!」

いつもいつも大きなペケをもらいました。
それでも止むことなく発し続けられる問いは、だんだん表出されることはなくなり心の中にただただ積もっていきました。疑問を持つことはいけない行為なんだという自己否定の重さとともに。

学校に行くようになると、私の「なぜ」は一気に認められ解放されました。勉強は「問い」と「答え」の連続ですから、思いっきり「なぜ」に取り組めます。
けれども、ここでもまたペケが待ち受けていました。算数などはいいのですが、国語や社会などは、自分の意見と「解答」とされているものが一致しないことのほうが断然多かったのでした。「なぜ」違うのか、先生の説明を聞いても分からず、なんだか自分の思ってることに確信が持てなくなっていきました。

中学、高校と、私の思春期を表わすには「孤独」の一語で事足ります。表面的な付き合いは如才なくできてしまうので、日常生活に支障をきたすことはありませんでしたが、人と一緒にいるのが苦痛でした。人と話しているとどうしても「なぜ」と問いかけたくなります。そして、それは人にとっては鬱陶しいことであり、距離を作るものなんだと、何度かの経験から思い込むようになりました。
私は「なぜ」を封印しました。心の中でさえ、湧き出てくる問いを無視するようになりました。

「いちいち関わりあってたらやっていけへんし、周りともうまくいかんのよ」
こうやって、早○○十年、自分の純粋な気持ちを押さえ込んでいたということですよね。

表面的な人間関係に慣れてしまった私は、あまり深く考えず結婚し、そこで「人生なめたらあかんぜよ」という体験をさせてもらうことになります。

それは息子のごはんを作るため卵を焼いていた時の事。ふいに、どうしても無視できない、いくら考えないようにしようとしても心にのしかかってきて離れない「なぜ」と出会ってしまいました。
我が子の世話をすることに喜びを感じていない自分がいました。ご飯を作るのも勉強をみるのも、やっつけ仕事としてやっている事に気づいてしまいました。煩わしい。面倒くさい。
息子が幼い頃は、いくら世話が大変でも、その大変ささえいとおしく思えたのに。

最愛であるはずの我が子より自分のほうが大切だと思う私は、人間として欠陥があるのではないかと真剣に悩みました。それまでは、人と深くつながることを諦めていたために、そんなに悩むこともなかったのです。本を読み漁りいろんなセミナーにも出たりもしました。けれど、自分は足りない、できていないという罪悪感は強まるばかりでした。

そんな頃、あるセミナーで知り合った方からカウンセリングを受けてみないかというお話を頂きました。私はその方をとても尊敬していましたので、二つ返事で決めました。その時はまさか自分がカウンセラーになるとは思いもよりませんでしたが、なぜか、今までの「問い」の答えが見つかるような、根拠のない期待に胸がふくらんだのを覚えています。

さて、実際のカウンセリングでの体験を言葉で表現するのはとても難しいのです。ちょっと抽象的になってしまうのですが…。

今までの「問い」の全てに、答が見つかったというよりは、マルをもらったという感じでしょうか。そういう「問い」が出てくるのも当然です、と受け止めてもらえ一緒に考えてもらえた体験で、初めて私自身が私を受け入れられる実感を持てたのでした。「問い」=「私の輪郭」(他との境界線)であって、どんな自分でもマルをあげられると、「問い」自体が落ちてなくなっていく、と体感した経験でした。そして、人は人で癒されるという事。

いろんな事を考え続けることはできる。多くの理論や仮説を立てることもできる。けど、そんな問答は丸ごとそっくりただのうわごとにすぎない。「生」と直接結びついたなら、もう「問う」必要はないのだ、そんな満たされた思いを初めて持つことができました。

なぜ私は子供を一番大事にするよい母親ではないのか」という問いが落ちた私は、手を抜くことにもマルを出せるようになりました。こうして、まだまだ波風は立つにせよ、基本ご機嫌でハッピーになった天然ママは、息子とも笑って話せるようになり、以前よりはうんと好かれるようになりました。(どんだけ嫌われてたんだか…)

こうして改めて俯瞰してみると、ペケがあったからこそ悩み、悩んで答えを求めたからこそ素晴らしい人々との出会いがあり、そしてハッピーな今があるんですね。そして、アンハッピーを知っているからこそ今の有り難さも分かります。

一見ペケでも実はマル。この世はマルで満ちている。何を選ぼうと、それは自分のマルだという責任を持って生きること。言い換えればもともと全てマルだけれど、マルを維持するのは自分にかかっている、ということです。そして、もっといいマルがあれば選びなおすのもいい。そこにはなかなか厳しいものがありますが、全部マルだという安心と、取り組む勇気をサポートするのがカウンセラーだと思っています。

マルしかない世界へのナビゲーターという重大な役目を肝に銘じ、襟を正して努めようと日々決意を新たにしています。
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by exkokoro | 2011-07-14 11:43 | カウンセリング | Comments(0)

必要なストレス?ストレスが成長の源になることも


タイトル:必要なストレス?ストレスが成長の源になることも
担当:佐藤 文
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こんにちは、佐藤 文です。

突然ですが、皆さんはストレス抱えてますか?
人は多かれ少なかれ、必ずといっていいほどストレスを抱えています。

先日、友人がこんなことを言っていました。

「上司がいないとやる気が出ない・・・」

この友人、上司とはなかなかソリが合わず、上司と何かあるとイライラして愚痴っぽくなっているか、落ち込んでいるかなのですが、
最近はその上司とすれ違いであまり話ができないよう。

すると…

「契約がとれても、とれなくても何も話さないし、どんな内容で話をしたかも聞かれない…
なんだか、最近の自分は『なあなあ』になっている気がする…
上司がいたらいたでイライラするんだけど、いないとモチベーションが上がらない」

上司の存在がストレスでもあるけれど、友人の「やる気の元」でもあるわけですね。

人間って不思議なもので、上司やライバル(仲が悪いほうがより効果を発揮する)、子どもの頃なら兄弟など競争相手や、障害があるほど燃えるところがあります。
心理学的にも、「ストレスは多少あったほうがいい」ともされています。
一人暮らしが長い方は、共同生活をしている方と比べストレスは少ないですが、逆に協調性がなくなっていきワガママになりやすい、なんてことも言われています。

激しいストレスは精神を壊しかねないですが、適度なストレスは「成長の源」なんですね

私自身も、友人に改めて気づかされました。

苦手な人や、嫌いな物事から逃げてばかりいないで、時には向き合ってみるのも、「成長」につながるものです。

友人には、
「自分から上司に、色々相談してみたら?」というと、反発していましたが(笑

けれどもそこは、友人にとって「上司としっかりと向き合っていこう」というサインなのかもしれません。

人間は周りから何も言われなくなれば、どんどん自分に甘く、わがままになり、『なあなあ』になっていくことでしょう。

「ストレスを与えてくれる=成長させてくれる」周りの存在に感謝ですね。

佐藤 文
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by exkokoro | 2011-07-08 11:39 | 心とからだ | Comments(0)

自分自身に力があるということ。


タイトル:自分自身に力があるということ。
担当:樹 真穂
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変えていく力はすべて、自分の中にあるということ。
それを外にフォーカスすることで、あたかも相手に
何かされているような、相手が変わってくれないと
何も解決することが出来ないかのような錯覚をする
ことが出来ます。

これをし始めると、延々と錯覚の海の中を泳ぎ続ける
ことが出来ます。

相手を批判しても批判したりない、どれだけ愚痴を言っても
言いたりない・・・。
余計、感情の渦の中にのまれてしまいます。

唯一、自分の内側にフォーカスすることで、自分自身に
力が戻ります。
「私が私の人生を創っている」
あなたにとって、受け入れがたいことですか?
これは、素晴らしい真実です。
現実は自分の内側に何を持っているかを見せてくれて
いるだけです。

だから、あわてなくて大丈夫なのです。
だから、現実はいくらでも、どうとでも変えていけるのです。
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by exkokoro | 2011-07-07 11:37 | 心とからだ | Comments(0)

与えることは、私の本質


タイトル:与えることは、私の本質
担当:樹 真穂
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過去に「この人にはもう愛情を与えない」と思ったことが
ありました。

与えない、そう決めたときから、私の何の中かが
止まったかのように感じました。
呼吸がとまるというか、とにかく自分らしくない
自分になったのが自分でよく分かり、ものすごく
気持ち悪いのです。

与えないと何が起きるというかというと、受け取れません。
ふたつは表裏一体なので、どちらか一方のみ、ということ
がありません。
与えた時点で、受け取れます。
与えることは、そういった性質をもっています。

なので、与えませんと宣言することは、受け取りませんと
宣言することになります。

でも、私たちはひとりで生きているわけではなく、
多くの人と分かち合って、助けあって生きているので
(ひとりで生きていると思う人も、食べ物や電気やガスや
水などを受け取っていますね)
そう宣言すること自体が不可能というか、不自然なこと
なのです。

不自然なことをすれば、当然、自分の中で違和感があります。
その違和感が気持ち悪くて、ふっと、「そうだった、私の
本質は与えることだっだ」と気づいてことがありました。

与えて、受け取るということ。
あなたの中の呼吸をとめないでくださいね。
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by exkokoro | 2011-07-01 12:58 | 心とからだ | Comments(0)

発したものは、何であれ返ってくる


タイトル:発したものは、何であれ返ってくる
担当:樹 真穂
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久々にけがをしました。
今私の右足には、ばんそうこうが4枚貼られています。

朝から大きなトラックが近所にやってきて、何の工事か分かりませんが、長い時間、騒音をたてておりました。
騒音と排気ガスが入ってくるから、朝からエアコンをつけなきゃ、
なんて思い、ちょっとイライラモードの私。

玄関の階段にちょっと出たとき、足をふみはずして、思いきりすりむいてしまいました。
鮮やかな血がパーッと吹き出してきました。
ひゃー、痛い。
イライラが自分に返ってきたよ、こんなにすぐに。
と私は思いました。

早いです。原因と結果は時にすぐに出ます。
発した思いは、それがポジティブであれ、ネガティブであれ、とにかく自分に返ってきます。

そうか。
痛い思いはしたけれど、このことを改めて自分の胸に刻む必要があったのだなと思う出来事でした。
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by exkokoro | 2011-06-28 17:22 | 心とからだ | Comments(0)

元気になりたいなら・・・


タイトル:元気になりたいなら・・・
担当:クリストファー 雅子
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こんにちは、エキサイトお悩み相談室に着任ほやほやのクリストファー雅子です。
名前で解るように、国際結婚でこどもが1人おります。

母親として、仕事をする女性として,妻として、自分として。。と

普段のみなさまも
やはり自分が最後に来てしまいますよね。


さまざまな規制や任務、責務の毎日の中。


少なくとも元気にできる一つに。おしゃれ!!があります。

お化粧や、お洋服、靴やバッグを取り替えただけでもルンルンになれますよ。


新しいものを購入しなくてもアイロンをしっかりかけて、
バッグを入れ替えて、口紅をつけて…家にいる主婦だとしても
ちょっとした事でおしゃれに前向きに生きる事ができます。
どうぞ、おやりになってね。。。


お食事のお皿の盛りつけや、placemattなどを変えるだけでも
たのしくなりますね。

またお会いしましょう。。。。。


CM
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by exkokoro | 2011-06-21 15:13 | 生活・生き方 | Comments(0)

お姉ちゃんの心理


タイトル:お姉ちゃんの心理
担当:佐藤 文
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こんにちは、佐藤 文です。
今日は自分自身の経験でもある「お姉ちゃん」について書きます。
私は三人姉妹の長女です。
1歳下の真ん中の妹は小さい頃病気があり、入院や通院でとにかく母は妹にかかりきりでした。
一番下の妹は5歳離れていて、とても可愛がられていました。
真ん中の妹が入院していたときには、私が母親代わりでした。

母は、私の子どもの頃を
「手がかからなくてしっかりした子だった」
と言います。
果たして、本当の私はそうだったのでしょうか?



先日、友達のお姉ちゃんの子どもの頃の話を聞きました。
友達は双子で、当時小学2年生のお姉ちゃんが一人。
家では本当にいいこで、頼りになるお姉ちゃん。
でも、学校では…とても暴力的な女の子だったらしいのです。
ある日、担任の先生から電話がかかってきて、お母さんもびっくり。
全く知らないお姉ちゃんの顔でした。


この話しを聞いて、私は「良かったな~」と思いました。

お姉ちゃんにとって、家では「お母さんは双子のお世話で大変だから、迷惑かけちゃいけない」という思いが強く、自分の気持ちを抑えこんでいたのが、学校で爆発していたのではと思います。
爆発するところがあると、どこかで問題が起こります。
その問題が起こることによって、解決に向かうことも多いのです。


心配なのは逆に、家でも学校でも「いい子すぎる子」です。
何から何まで大人の言うとおり。
自分の気持ちを抑え込んだままでは、問題も起こらないし、
親も先生も「あの子はいい子ね」で終わってしまいます。
問題が起こらなければ、解決もしません。

そして、その後もずっと、自分の気持ちを抱え込んだまま、大人になります。


根底には
「いい子にしていないと、私は誰からも大切にされる価値がない」
と思い込み、

・嫌われるのが怖くて、目の前の人に気に入られるように振舞う
・自分の意見を強く言えない(言わない)
・自信を失くす
・自己嫌悪


悪循環に陥ってしまいます。


第1子が少し大きくなり、第2子ができると、上の子の「赤ちゃん返り」ということが起きます。
それまで独り占めしていたお母さんの愛情を、弟や妹に取られるということは、子どもにとって危機的状況です。
そこで、上手く甘えることができたり、どこかで発散させたりすればいいのですが、
子どもはお母さんのことをよく見ていて「お母さんに迷惑がかかることはやめよう」と、よかれと思って我慢していたことが、どんどん自分の首を絞めることになるのです。

だから、どこかで発散の場が必要です。

自分の気持ちをありのままに表現できる場所。
そして、その気持ちを受け止めてくれる場所。

それが信頼できるパートナーであったり、親友であったり、またカウンセラーでもあります。
私の中には溢れんばかりの「寂しい」という気持ちが渦巻いていました。
自分でも思った以上に貯めこんでいたようです。
私も本当に苦しい寂しい気持ちをたくさんの方に助けていただきました。

今でも落ち込んだときには、「嫌われるのが怖い」「とにかく寂しい」という思いが噴出することがありますが、受け止めてくれる場所があるので、素直に吐き出せます。
そして吐き出すと、解決策が見えてきて、心が落ち着いて、また前に進めます。


「自分の気持ちすらわからない…」
「どう表現していいかもわからない…」

そんなときでも、少しずつ自分の中にどんな気持ちがあるのか?
本当はどう思っていた(いる)のか?
掘り下げていきましょう。


見えない「本当の自分」が見えてくるかもしれません。
自分をまずクリアにして、問題を解決していきましょう。
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by exkokoro | 2011-05-23 13:11 | 家族 | Comments(0)

子育てのために、自分を犠牲にする?


タイトル:子育てのために、自分を犠牲にする?
担当:佐藤 文
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こんにちは、佐藤 文です。

私は今現在再婚していますが、去年まではシングルマザーでした。

子どもが1歳になる前に離婚し、「これからどう生きていくか?!」「確実に就職できる資格をとらなくちゃ!!」と思い、とにかく勉強して資格を取得をしました。

介護ヘルパー2級、医療事務、介護事務、簿記の勉強・・・


それらは「就職するため」の資格で、自分から「やりたい」と思ったことのない職業でした。
生きるのに必死で、「夢」とか「希望」とか「自分らしさ」とか、そんなものとはかけ離れていましたね。
確かに、子どもを抱えるシングルマザー、「あの仕事はいや、こんな仕事もいや!」なんてわがままは、言っていられません。
ですが、自分のやりたいことを犠牲にして頑張るのが「子どものため!」と思い込み、カウンセラープロフィールにある「ありのままに」なんて言葉も、全く以前の私には当てはまりませんでした。


以前の私の中には「何かをやりたければ、何かを犠牲にしなければならない」という鉄則があり、


それが、


「子どもを育てるためには、自分の好きなこと、やりたいことは全て犠牲にしなければならない」
と、無意識の方程式ができあがっていました。


もしかしたら、私と同じように思っている方も多いのではないでしょうか?
小さな子どもを、預けること=悪いこと。
小さな子どもを置いて、自分の好きなことをする=いけないこと。
周りの目(世間体)を気にしすぎて、思うように動けない…。


友達にも「子どものために、自分のことを諦めてるように見える」と言われたこともあります。
あのときは、意識していなかったので、グサっときたのを覚えています。



でも、それは、本当に本当に『子どものため』なのでしょうか??




もしも、自分の親に
「あんたのために、私は好きなことをずっと我慢してきたんだ!」
って言われたらどんな気持ちでしょう?

なんだか、いや~な気持ちになりますよね。
恩着せがましいというか…


「子どものため」と見せかけて、本当は…

「私は悪いお母さんじゃない!」「私はこんなに頑張っているから、いいお母さんなんだ!」

って、実はびっくり、「私のため」なんです。



確かに、子どもが小さいときには、シングルマザーでなくても、働くお母さんでも、専業主婦のお母さんでも「自分の趣味や好きなことに時間をとる」ということは難しいです。

でも、「子どもが幼稚園に入ったら、趣味を再開しよう♪」とか
小学校に入ってお留守番ができるようになれば、「好きな仕事をしよう」とか
そういうふうに考えるだけでもいいと思います。
ちょっとずつインターネットや本などで情報収集して準備しておけば、ばっちり☆

他にも、月に一回だけは、旦那さんや親に子どもを預けて、リフレッシュする日と決めて、周りの大人と相談してみるのもいいです。
喫茶店で一人の時間を満喫したり、ウインドウショッピングも私は好きです。
公共施設で託児つきの教室などもありますね。
ヨガやスポーツなどの身体を動かしてリフレッシュする方法もあれば、何かを作ることがストレス解消になったりもしますよね。


これらは、全然悪いことじゃないし、むしろ家でずっと子どもと二人きりでイライラしいているお母さんよりよっぽどいいですよ!


以前働いていた子育て支援施設(まだ幼稚園や保育園に行っていない子どもと親が来る場所)で実際に見たことですが、
お母さんがスタッフに子育ての悩みを相談したり、託児つきの講座に参加して、ほんの少しでもイライラから開放され、リラックスすると、自然と子どもに優しくなります。
そして、そのお母さんの優しい対応や声かけで、子どもの反応も全く違ってきます。
それが続いていくと、お母さんも変わってきますが、子どもの表情も劇的に変わります。
お母さんがずっとイライラして、なんだかいつもそわそわしていた子どもが、
お母さんがリラックスすることで、目が輝き、笑顔が多くなり、意欲的になるんです。
子どもはお母さんの気持ちを敏感に察知しているんですね。
そんな親子を今まで何組も見てきました。


本当の意味での『子どものため』に、自分自身も大切にしましょう!


好きなこと、やりたいことをやって生き生きしているお母さん、笑顔のお母さんは、子どもの太陽です♪

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by exkokoro | 2011-05-02 13:15 | 家族 | Comments(0)

家族の絆


タイトル:家族の絆
担当:長谷川 泰三
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和男さん(仮名)は30代半ばの男性で、
中学生の女の子と小学生の男の子のお父さんでした。


「娘が全然いうことをきかなくて...」


彼は中学生の娘さんが最近、反抗的で親子ゲンカばかりしていまうということを話してくれました。


「つい“カーッ”となって手をあげてしまうこともあるんです。自分でも最低だなって思います」

「そんな自分を責めているんですね」

「・・・・・・」

「どんな時によくケンカしますか?」

「はい... 大体が夕飯の時なんです」


彼の家では夕飯に関して絶対の“決り事”があるらしいのです。

それを最近、娘さんが守らないのでケンカになってしまうということでした。


「それで、その“決り事”って何なのですか?」

「そっそれは、7時に皆そろって“頂きます”ってやることなんです。へっ変ですか?」

「ははっ(笑) すいません、ごめんなさい。イイじゃないですか、皆でそろって頂きますですか」

「もう、笑わないでくださいよ。笑われるからあんまり人には言いたくなかったんです」

「すいません(笑) でもあったかくて、のどかな感じがしてイイと思いますけど」

「それが、あんまりのどかでもないんです...」


子供が小さい頃はまだ よかったのですが、娘さんも最近は友達との付き合いがあったりして
7時には帰ってこないときがあるのだそうです。


「夕飯に皆そろわないと幸せが崩れてしまいそうで、どうしてもきつく叱ってしまうのです」

「どうしてそんなに皆そろうことにこだわるのですか?」

「それは...」


和男さんは子供のころ 施設に預けられていたそうです。

家族というものを知らない彼は、自分の家族というものを強く求めたということでした。

そして早くに結婚をし 子供をもうけ、自分の家族というものを手にしたのです。

しかし、和男さんはど のようにして子供と関わっていけばイイのかが分からなかったそうです。

そんなときにある出来事を思いだしました。昔、友人に夕飯に誘ってもらったそうです。

家族が皆そろってワイワイガヤガヤいろんな話しをしながらとても楽しい食事だったそうです。

こんなに楽しい食事は初めてだと思った和男さんは皆がとても幸せそうに見えたのだそうです。

「なるほど、それで7時に皆で頂きますですか」

「自分には経験がなかったもので... きっと家族というものは皆で楽しく夕飯食べながら...
これが幸せなんだって思ったんです」


家族の幸せというものがどんなものか知らなかった彼は、両親からもらえなかったモノの中に
“家族の幸せ”があるんだと思いました。

休日は家族と一緒... 皆で旅行に行ったり... 遊園地に出かけたり... 本当に彼は頑張りました。

仲のイイ家族、幸せな家族を作るために一所懸命頑張ったのです。

彼が両親からもらえなかったモノを子供達に与えてきたの です。


「子供達が喜ぶと思ってやっていたんですが、喜ぶどころか鬱陶しいって言われる始末です」

「毎週、毎週じゃ子供達も友達と遊ぶヒマがないんじゃないですか?」

「はい、そう言われます。ですから休日に一緒にどこかへ出かけるっていうのはひかえています。
でも夕飯は一緒に...」

「それだけは譲れないのですね(笑)」

「はい... そして子供達は離れていくばかりなのです」


昨日も7時の夕飯に遅 れた娘を叩いてしまって、奥さんからも下の息子さんからも白い目で見られ、
娘さんは泣いてるし、最悪で最低の“頂きます”だったそうです。


「家族がうまく行かないのも私が施設育ちだからでしょうか?」

「どうしてそう思うのですか?」

「同じ施設を出た仲間達も家族のことで悩んでいる人が多いもので...」

「なるほど、それは自分が親に傷付いた分、子供に対して完璧な親にならなくてはいけないって
思うからではないでしょうか?」

「確かにそんな感じがします」


和男さんも完璧な親に なるために頑張っています。

親からもらえなかっ たものを一所懸命子供に与えようとしています。

それはとてもイイことなのですが、ただその原動力が“親に対しての恨み”というものだったとしたら
うまくはいきません。

そうなると加減がきかないのです。

やり過ぎてしまうのです。

イイことをしながらも同時に誰かを攻撃している... 片手で花束を持ちながらもう片手のピストルで誰かを
打っているようなものです。

和男さんは誰かを許す必要があるみたいですね

「えっ? 許す? 誰をですか?」

「貴方に家族の幸せというものを教えてくれなかった人ですよ」

「それは両親ということですか?」

「はい、そうです」

「両親... 残念ながらあまりお話しすることはありません。一緒にいませんでしたから」

「そうですね、そして一緒にいてくれなかったことを怒っていませんか?」

「今はもう怒ってなんかいません!!」

「そう言いながらも今怒ってませんか?」

「・・・・・」

「貴方は家族の絆を作るために頑張ってきました。とてもイイことをたくさんしてきました。
でもそれがうまくいかないときは“それをやっている動機”を考えてみてください」

「それは親が私にしてくれなかったからです! 私はずっと寂しい思いをしてきました。
私はあんな親にはなりたくありません!」

「確かに貴方は正しいことをしています。でもそこに恨みはありませんか?」

「・・・・・・」

「せっかくイイことをしているのに、親への攻撃を目的にしていませんか?」

「そうです! それがいけないのですか!!」

「いけないことはありません。しかしそうなると貴方は親として“やらねばいけない”ことが多くなるでしょうね。
それも完璧に、もし出来なかったらあの親と同じになってしまうと思うでしょうから」

「そうです。無責任な自分の親と同じにならないように頑張ってきました」

「それは私も認めます。本当に頑張ってきましたよね。でもうまくいかない...」

「はい、一体どうしたらイイのでしょうか...」

「そうですね。動機と目的を変えましょう

「そうするとうまくいくのですか?」

「はい、イイこと正しいことをしていてうまくいかないときは動機や目的を変えるとうまくいくも のですよ。
どうですか、やってみますか?」

「はい、それで家族がうまくいくならやります。一体どうすればイイのですか?」

「ではやってみましょう。方法はまかせてもらえますか? まあ簡単に言うとイメージの力を借りるのです」

「イメージの力ですか.. 」

「はい、心の中でお父さんやお母さんに出会っていくんですよ」

「何かイヤな感じですが、それで家族とうまくいくのならやってみます」

「軽く目を閉じて、大きく深呼吸をして... リラックスして.... 子供のころを思い出してくだ さい。
一番寂しかった、辛かったときのことです。何才の貴方が見えますか?」

「8才のころの私です... 施設に預けられて、皆にとけ込めずに一人でいます」

「その子の気持ちが分かりますか?」

「不安... 寂しい... お父さん、お母さんが恋しい...」

「その子の親になったつもりでその子供を見てあげてください。貴方のお子さんを見るように
その子を見てあげてください」

「・・・・・・」


彼は涙を流していました。


「今どんな気持ちですか?」

「この子を助けてあげたい! 抱き締めてあげたい!」

それが、貴方のご両親の気持ちですよ。そんなふうに貴方をどこかから見ていたんですよ」

「知ってます... いやっ、知らないフリをしていました」

「貴方のご両親も貴方を愛したくて、抱き締めたくて、でもそれが出来なくて辛い思いをしていたんでは
ないですか?」

「はいっ....」

「両親を求めている子供、子供を抱き締めたい親... 離ればなれになってしまったこの親子を
イメージで一つにつなげてあげましょう。 ご両親も貴方を愛したかったのですよ」

「はい...」

「小さな頃、まだ貴方がご両親と一緒にいたころを思い出してください。どこに住んでいましたか? 
お家の周りの景色を憶えてますか? 子供のころによく遊んでいた場所にその子はいます」

「はい...」

「小さな男の子に近付いていってください。そして、『一緒にお家へ帰ろうね』って言ってあげてください」

「はい... 泣きながら私に抱き着いてきます」

「その子の手を引いて、お家へつれて帰ってあげましょう」

「嬉しそうにはしゃいでいます」

施設を出た後、両親から連絡があり「会いたい」と言われたことがあったそうです。

でも彼は“何を今さら”と断ってしまったそうです。

子供のころは仕方ない事情で両親が彼を遠ざけました、でも今は彼が両親を遠ざけています。


「その子はずっと一人だったんですよ。誰かが迎えに来てくれるのをずっと待っていたんですよ。
懐かしいお家の玄関を開けて、その子と一緒に『ただいま!』って言ってください。
お父さんとお母さんに聞こえるように大きな声で...」

「ただいま! お父ちゃん、お母ちゃん、今帰ってきたよ。ただいま!」

「お帰りなさい... そんな声が聞こえませんか?」

「はいっ、聞こえるような気がします。とても懐かしい声が聞こえます.. 」


その後、彼はずっと遠 ざけていた両親に会いに行きました。


彼の両親は事業で失敗し、彼を巻き込むことは出来ないと考え泣く泣く自分の子供を手放したのです。

そして、ずっと彼を遠くから見守っていたのだそうです。

彼の家では相変わらず の“皆そろって頂きます”をやっているらしいですが、 娘さんが遅れて帰ってきても
笑顔で「お帰り」って言えるようになったそうです。

今では7時でも、8時でも笑顔で“頂きます”ができる家族になりました。

彼の心の中ではもう“ 皆で頂きます”は両親を攻撃するものではなくなったのです。

本当はそれを両親も望んでいたのだと感じることができ、両親からのバトンを引き継ぐことができたのです
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by exkokoro | 2011-04-13 17:03 | 家族 | Comments(0)

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