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マルだけの世界との出会い


タイトル:私をカウンセリングに導いた出会い【マルだけの世界との出会い】
担当:舞原 惠美
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ものごころついた時から、ずっと「なぜ」「どうして」を発し続けていたような気がします。
「なんで寒くなると木の葉は落ちるの?」
「なんで花には赤や黄色やいろいろな色があるの?」
「なんで水にぬれると色が変わって見えるの?」

いつも散歩に連れて行ってくれていた祖母は
「いちいちうるさいなぁ、この子は。なんでなんでって。どうでもいいことばっかり!」

「なんで足でドアを開けたらあかんの?」
「なんで歩きながらアイスクリームを食べたらあかんの?」

父は怒って、「理屈ばっかり言うな。はい、って親の言うことを聞いてたらいいねん!」

いつもいつも大きなペケをもらいました。
それでも止むことなく発し続けられる問いは、だんだん表出されることはなくなり心の中にただただ積もっていきました。疑問を持つことはいけない行為なんだという自己否定の重さとともに。

学校に行くようになると、私の「なぜ」は一気に認められ解放されました。勉強は「問い」と「答え」の連続ですから、思いっきり「なぜ」に取り組めます。
けれども、ここでもまたペケが待ち受けていました。算数などはいいのですが、国語や社会などは、自分の意見と「解答」とされているものが一致しないことのほうが断然多かったのでした。「なぜ」違うのか、先生の説明を聞いても分からず、なんだか自分の思ってることに確信が持てなくなっていきました。

中学、高校と、私の思春期を表わすには「孤独」の一語で事足ります。表面的な付き合いは如才なくできてしまうので、日常生活に支障をきたすことはありませんでしたが、人と一緒にいるのが苦痛でした。人と話しているとどうしても「なぜ」と問いかけたくなります。そして、それは人にとっては鬱陶しいことであり、距離を作るものなんだと、何度かの経験から思い込むようになりました。
私は「なぜ」を封印しました。心の中でさえ、湧き出てくる問いを無視するようになりました。

「いちいち関わりあってたらやっていけへんし、周りともうまくいかんのよ」
こうやって、早○○十年、自分の純粋な気持ちを押さえ込んでいたということですよね。

表面的な人間関係に慣れてしまった私は、あまり深く考えず結婚し、そこで「人生なめたらあかんぜよ」という体験をさせてもらうことになります。

それは息子のごはんを作るため卵を焼いていた時の事。ふいに、どうしても無視できない、いくら考えないようにしようとしても心にのしかかってきて離れない「なぜ」と出会ってしまいました。
我が子の世話をすることに喜びを感じていない自分がいました。ご飯を作るのも勉強をみるのも、やっつけ仕事としてやっている事に気づいてしまいました。煩わしい。面倒くさい。
息子が幼い頃は、いくら世話が大変でも、その大変ささえいとおしく思えたのに。

最愛であるはずの我が子より自分のほうが大切だと思う私は、人間として欠陥があるのではないかと真剣に悩みました。それまでは、人と深くつながることを諦めていたために、そんなに悩むこともなかったのです。本を読み漁りいろんなセミナーにも出たりもしました。けれど、自分は足りない、できていないという罪悪感は強まるばかりでした。

そんな頃、あるセミナーで知り合った方からカウンセリングを受けてみないかというお話を頂きました。私はその方をとても尊敬していましたので、二つ返事で決めました。その時はまさか自分がカウンセラーになるとは思いもよりませんでしたが、なぜか、今までの「問い」の答えが見つかるような、根拠のない期待に胸がふくらんだのを覚えています。

さて、実際のカウンセリングでの体験を言葉で表現するのはとても難しいのです。ちょっと抽象的になってしまうのですが…。

今までの「問い」の全てに、答が見つかったというよりは、マルをもらったという感じでしょうか。そういう「問い」が出てくるのも当然です、と受け止めてもらえ一緒に考えてもらえた体験で、初めて私自身が私を受け入れられる実感を持てたのでした。「問い」=「私の輪郭」(他との境界線)であって、どんな自分でもマルをあげられると、「問い」自体が落ちてなくなっていく、と体感した経験でした。そして、人は人で癒されるという事。

いろんな事を考え続けることはできる。多くの理論や仮説を立てることもできる。けど、そんな問答は丸ごとそっくりただのうわごとにすぎない。「生」と直接結びついたなら、もう「問う」必要はないのだ、そんな満たされた思いを初めて持つことができました。

なぜ私は子供を一番大事にするよい母親ではないのか」という問いが落ちた私は、手を抜くことにもマルを出せるようになりました。こうして、まだまだ波風は立つにせよ、基本ご機嫌でハッピーになった天然ママは、息子とも笑って話せるようになり、以前よりはうんと好かれるようになりました。(どんだけ嫌われてたんだか…)

こうして改めて俯瞰してみると、ペケがあったからこそ悩み、悩んで答えを求めたからこそ素晴らしい人々との出会いがあり、そしてハッピーな今があるんですね。そして、アンハッピーを知っているからこそ今の有り難さも分かります。

一見ペケでも実はマル。この世はマルで満ちている。何を選ぼうと、それは自分のマルだという責任を持って生きること。言い換えればもともと全てマルだけれど、マルを維持するのは自分にかかっている、ということです。そして、もっといいマルがあれば選びなおすのもいい。そこにはなかなか厳しいものがありますが、全部マルだという安心と、取り組む勇気をサポートするのがカウンセラーだと思っています。

マルしかない世界へのナビゲーターという重大な役目を肝に銘じ、襟を正して努めようと日々決意を新たにしています。
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by exkokoro | 2011-07-14 11:43 | カウンセリング | Comments(0)

ママ友達との付き合い方


タイトル:「ママ友達との付き合い方」
担当:佐藤 文
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こんにちは。佐藤 文です。
今回はママ友達とのお付き合いについて書きます。
読んでくださっている方の中で、「どうしてもママ友達と上手く付き合えない」という方もおられるでしょう。
私は現在、ママ業6年目になりました。
子どもは年長です。

その間、母親クラブの役員もしたり、子育て支援のボランティアでは色んなママを見てきました。
「モンスターペアレント」なんて言葉もありますが、そこまではいかなくても、ちょっと変わったママはいらっしゃいますね。
そして、「イクメン」という言葉が出てきて、男性の育児参加も最近多いとは言われますが、やはり子どもと多くの時間を過ごすのはママ。
ご近所の公園で出会ったり、保育園、幼稚園の親の付き合いはママ中心の女の園です。


ママ友達のいいところは、子育ての悩みを共有できるところです。
特に子どもが赤ちゃんの頃は、同じくらいの月齢の子を持つママとお話しすると、悩んでいることが一緒で「自分だけじゃないんだ」と安心できますし、悩みをわかってもらえてすっきりします。
少し上の子がいるママには、どうやってその悩みを解決したのか?どんな対処法があるのか?と聞くことができます。
女性の口コミ力はすごいので、ママ友達と話すと色んな子育て情報も入ってきます。


ですが、「どうしてもあのママ友達とは上手く付き合えない…
と、価値観の違うママ友達に戸惑っている方は…

今まで育ってきた環境は違いますし、子育てのやり方、考え方、価値観もそれぞれ違うことでしょう。
それは当たり前です。
ママ友達とは、自分にストレスがかからない程度のお付き合いをするのが一番です。
「子どもが同じクラスだから…」
「毎日顔を合わせるから…」
と、言って、自分の言いたいことをガマンしてばかりいると、ストレスがかかり、精神的によくありません。
ここはシビアに、必要な情報交換だけはしておいて、あとはさっと聞き流す、受け流すくらいでいいと思います。
無理に付き合う必要は全くありません。



子どもが大きくなるにつれて、悩みもまた変わってきますし、ママ友達の中にも気が合う、合わない、色んな人がいると思います。
ママ友達とはよっぽど仲良くない限り、何十年も付き合うということはありません。
子どもが大きくなると、ママ同士の接点はだんだんとなくなっていきます。
子どもたちは、同じ学年かもしれませんが、ママの年齢はバラバラですし、考え方もそれぞれです。
無理に合わせようとせず、肩の力を抜いてお付き合いしてみてはいかがでしょうか?
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by exkokoro | 2011-06-13 10:37 | 育児・教育 | Comments(0)

お姉ちゃんの心理


タイトル:お姉ちゃんの心理
担当:佐藤 文
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こんにちは、佐藤 文です。
今日は自分自身の経験でもある「お姉ちゃん」について書きます。
私は三人姉妹の長女です。
1歳下の真ん中の妹は小さい頃病気があり、入院や通院でとにかく母は妹にかかりきりでした。
一番下の妹は5歳離れていて、とても可愛がられていました。
真ん中の妹が入院していたときには、私が母親代わりでした。

母は、私の子どもの頃を
「手がかからなくてしっかりした子だった」
と言います。
果たして、本当の私はそうだったのでしょうか?



先日、友達のお姉ちゃんの子どもの頃の話を聞きました。
友達は双子で、当時小学2年生のお姉ちゃんが一人。
家では本当にいいこで、頼りになるお姉ちゃん。
でも、学校では…とても暴力的な女の子だったらしいのです。
ある日、担任の先生から電話がかかってきて、お母さんもびっくり。
全く知らないお姉ちゃんの顔でした。


この話しを聞いて、私は「良かったな~」と思いました。

お姉ちゃんにとって、家では「お母さんは双子のお世話で大変だから、迷惑かけちゃいけない」という思いが強く、自分の気持ちを抑えこんでいたのが、学校で爆発していたのではと思います。
爆発するところがあると、どこかで問題が起こります。
その問題が起こることによって、解決に向かうことも多いのです。


心配なのは逆に、家でも学校でも「いい子すぎる子」です。
何から何まで大人の言うとおり。
自分の気持ちを抑え込んだままでは、問題も起こらないし、
親も先生も「あの子はいい子ね」で終わってしまいます。
問題が起こらなければ、解決もしません。

そして、その後もずっと、自分の気持ちを抱え込んだまま、大人になります。


根底には
「いい子にしていないと、私は誰からも大切にされる価値がない」
と思い込み、

・嫌われるのが怖くて、目の前の人に気に入られるように振舞う
・自分の意見を強く言えない(言わない)
・自信を失くす
・自己嫌悪


悪循環に陥ってしまいます。


第1子が少し大きくなり、第2子ができると、上の子の「赤ちゃん返り」ということが起きます。
それまで独り占めしていたお母さんの愛情を、弟や妹に取られるということは、子どもにとって危機的状況です。
そこで、上手く甘えることができたり、どこかで発散させたりすればいいのですが、
子どもはお母さんのことをよく見ていて「お母さんに迷惑がかかることはやめよう」と、よかれと思って我慢していたことが、どんどん自分の首を絞めることになるのです。

だから、どこかで発散の場が必要です。

自分の気持ちをありのままに表現できる場所。
そして、その気持ちを受け止めてくれる場所。

それが信頼できるパートナーであったり、親友であったり、またカウンセラーでもあります。
私の中には溢れんばかりの「寂しい」という気持ちが渦巻いていました。
自分でも思った以上に貯めこんでいたようです。
私も本当に苦しい寂しい気持ちをたくさんの方に助けていただきました。

今でも落ち込んだときには、「嫌われるのが怖い」「とにかく寂しい」という思いが噴出することがありますが、受け止めてくれる場所があるので、素直に吐き出せます。
そして吐き出すと、解決策が見えてきて、心が落ち着いて、また前に進めます。


「自分の気持ちすらわからない…」
「どう表現していいかもわからない…」

そんなときでも、少しずつ自分の中にどんな気持ちがあるのか?
本当はどう思っていた(いる)のか?
掘り下げていきましょう。


見えない「本当の自分」が見えてくるかもしれません。
自分をまずクリアにして、問題を解決していきましょう。
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by exkokoro | 2011-05-23 13:11 | 家族 | Comments(0)

子育てのために、自分を犠牲にする?


タイトル:子育てのために、自分を犠牲にする?
担当:佐藤 文
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こんにちは、佐藤 文です。

私は今現在再婚していますが、去年まではシングルマザーでした。

子どもが1歳になる前に離婚し、「これからどう生きていくか?!」「確実に就職できる資格をとらなくちゃ!!」と思い、とにかく勉強して資格を取得をしました。

介護ヘルパー2級、医療事務、介護事務、簿記の勉強・・・


それらは「就職するため」の資格で、自分から「やりたい」と思ったことのない職業でした。
生きるのに必死で、「夢」とか「希望」とか「自分らしさ」とか、そんなものとはかけ離れていましたね。
確かに、子どもを抱えるシングルマザー、「あの仕事はいや、こんな仕事もいや!」なんてわがままは、言っていられません。
ですが、自分のやりたいことを犠牲にして頑張るのが「子どものため!」と思い込み、カウンセラープロフィールにある「ありのままに」なんて言葉も、全く以前の私には当てはまりませんでした。


以前の私の中には「何かをやりたければ、何かを犠牲にしなければならない」という鉄則があり、


それが、


「子どもを育てるためには、自分の好きなこと、やりたいことは全て犠牲にしなければならない」
と、無意識の方程式ができあがっていました。


もしかしたら、私と同じように思っている方も多いのではないでしょうか?
小さな子どもを、預けること=悪いこと。
小さな子どもを置いて、自分の好きなことをする=いけないこと。
周りの目(世間体)を気にしすぎて、思うように動けない…。


友達にも「子どものために、自分のことを諦めてるように見える」と言われたこともあります。
あのときは、意識していなかったので、グサっときたのを覚えています。



でも、それは、本当に本当に『子どものため』なのでしょうか??




もしも、自分の親に
「あんたのために、私は好きなことをずっと我慢してきたんだ!」
って言われたらどんな気持ちでしょう?

なんだか、いや~な気持ちになりますよね。
恩着せがましいというか…


「子どものため」と見せかけて、本当は…

「私は悪いお母さんじゃない!」「私はこんなに頑張っているから、いいお母さんなんだ!」

って、実はびっくり、「私のため」なんです。



確かに、子どもが小さいときには、シングルマザーでなくても、働くお母さんでも、専業主婦のお母さんでも「自分の趣味や好きなことに時間をとる」ということは難しいです。

でも、「子どもが幼稚園に入ったら、趣味を再開しよう♪」とか
小学校に入ってお留守番ができるようになれば、「好きな仕事をしよう」とか
そういうふうに考えるだけでもいいと思います。
ちょっとずつインターネットや本などで情報収集して準備しておけば、ばっちり☆

他にも、月に一回だけは、旦那さんや親に子どもを預けて、リフレッシュする日と決めて、周りの大人と相談してみるのもいいです。
喫茶店で一人の時間を満喫したり、ウインドウショッピングも私は好きです。
公共施設で託児つきの教室などもありますね。
ヨガやスポーツなどの身体を動かしてリフレッシュする方法もあれば、何かを作ることがストレス解消になったりもしますよね。


これらは、全然悪いことじゃないし、むしろ家でずっと子どもと二人きりでイライラしいているお母さんよりよっぽどいいですよ!


以前働いていた子育て支援施設(まだ幼稚園や保育園に行っていない子どもと親が来る場所)で実際に見たことですが、
お母さんがスタッフに子育ての悩みを相談したり、託児つきの講座に参加して、ほんの少しでもイライラから開放され、リラックスすると、自然と子どもに優しくなります。
そして、そのお母さんの優しい対応や声かけで、子どもの反応も全く違ってきます。
それが続いていくと、お母さんも変わってきますが、子どもの表情も劇的に変わります。
お母さんがずっとイライラして、なんだかいつもそわそわしていた子どもが、
お母さんがリラックスすることで、目が輝き、笑顔が多くなり、意欲的になるんです。
子どもはお母さんの気持ちを敏感に察知しているんですね。
そんな親子を今まで何組も見てきました。


本当の意味での『子どものため』に、自分自身も大切にしましょう!


好きなこと、やりたいことをやって生き生きしているお母さん、笑顔のお母さんは、子どもの太陽です♪

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by exkokoro | 2011-05-02 13:15 | 家族 | Comments(0)

▲家族△ 甘やかすと甘えさせるの違い

みなさんは、子どもを
甘やかすと甘えさせるのは同じ事だと思いますか。

私は、以前同じものだと思っていました。
というより違いが分かりませんでした。

ただ、甘やかす事はよくないんだと、
漠然と思っていたんですね。

でもこの2つは決定的に違うものなんです。

子どもは保護されて育つものですから、
甘えさせてあげることは悪いことはないのです。

甘えさせるとは簡単に言うと、
子どもが望むことをしてあげることです。

子どもの様子をしっかり見た上で子どもが望むことに、
親が愛情をもって接してあげるのです。

抱っこして欲しいなら抱っこを。
遊んで欲しいときは一緒に遊んであげる。
甘えたいときには十分甘えさせる。

ただし機械的に抱っこする、
イヤイヤ遊んであげるのでは意味がありません。
愛情を持ってという所が肝心なんですね。

子どもは親の愛情を望んでいるわけですから、
体と心と時間を出来る限り子どものために割くのです。

一方、甘やかすは違います。

子どもが望む事ではなく、
親が子どもに望む事をしすぎるということです。


子どもが望んでいないのに、
危ないからと先回りしてやってしまう。
子どもが言うからとただ何も考えず、物を買い与えたり、
子どもに良くないと分かっていながらも許してしまう。

子どもが望んでいない事をさせすぎてしまうと、
子どもはダメになってしまいます。

自分で判断できない、
自信が持てない子どもになってしまうのですね。

親というものは子どもに期待してしまうものですから、
干渉を無くすことは難しいと思います。

でも、心がけることでそれをできるだけ少なくし、
「こうなってほしい」というのではなく、
「子どもが望んでいる事を分かる親」が、
理想なのだと思うのです。

子どもは親が分かっていてくれると思えば、
問題は自分から解決しようとします。

子どもの姿をたっぷり見て、
この子は何をしてほしいのかに気づいてあげて、
出来る限り子どもの気持ちを分かろうとすること。

完璧でなくても今より、
ちょっとだけ、やってみる。
それで十分なのだと思います。
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by exkokoro | 2011-03-02 11:38 | 育児・教育 | Comments(0)

子育てなんて一人で出来るわけがない!


タイトル:子育てなんて一人で出来るわけがない!
担当:沖島 由香
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最近私は、
「子育てなんて一人で出来るわけがない」と思うようになりました。

今まで「子育ては出来るだけ母親の私がしよう」と思っていたし、
「しなければならない」とか「それが当たり前」と思っていました。
他の人も「母親、もしくはそれに代わる人が出来るだけするほうが良い」
と思っていました。

でも、違う。
子育てなんて一人で出来るわけがないんです。

私たち大人でさえ、今も、いろんな人と出会い、いろんな所へ行き、
いろんなものを見て、それらに影響され成長していると言えます。

子どもは成長するのが仕事。
しかも大人と比べれば、想像できないスピードで成長します。

私たちは親とはいえ、たった一人で、そんなスピードで、
子どもに十分な成長をさせてやれるはずがないのです。
親である私たちもまだ成長の途中なのですから。


人間は、生きている限り成長し続けるはずですから、
完ぺきな自分に出会うことはないでしょう。

だから一人だけで子どもを育てることは出来ないのだと思います。

一人でがんばるより、子どもには出来るだけ
親以外の人と接する機会を持たせることも大切ではないでしょうか。

兄弟姉妹、おじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさん、
いとこなど、身内は勿論のこと、幼稚園や学校の友達、
近所の友達、習い事の友達もいますし、
その他も出来るだけたくさんの人と関わらせることが、
大切だと思うのです。

もし、親が持っていないモノや、苦手なモノがあっても、
他の誰かが持っているかも知れません。
他の誰かが知っているかも知れません。
一人より二人。
二人より三人。

一人で全てをこなすのは無理です。

しかし、中には性格が合わないとか、けんかをするとか、
心配だとか、親としては気掛かりなことがいっぱいありますよね。

親として、危険なことから子どもを守るのは当然ですが、
少々のけんか、性格の不一致、不慣れな環境などは
経験させて良いと思います。

子どもが傷ついたり、泣いたり、悩んだりしている姿を
見るのはとても辛いことです。
しかし、子どもはただ傷ついているだけなのでしょうか。

きっとそこから必ず「何か」を学んでいるはずです。
親だけでは教えてやれない「何か」を学んでいるのです。

私も昔は子どもを守りすぎました。

子どもを悲しませたり、悩ませたりするのが嫌だった。
まるで自分も同じ体験をしているように感じたりもしました。

でも守りすぎると、その時は平和に過ごせますが、
学びが乏しくなるので、いつでも、どんな時でも、
守らなければならなくなります。

いつも守るということは、子ども自身は何もしなくていいので、
親である自分が、何もかもしなければならなくなる。
それが結局、一人で子育てをすることに繋がって行きます。

そして、やがて疲れ果て、子育てに行き詰まり、
どうしていいか分からなくなる。
子どもを守っているつもりが、逆に学びの場を奪って、
成長を止めることになってしまいます。

確かに子育てに心配は尽きません。
きっと、子どもが何歳になっても同じでしょう。
子どもが大人になっても、私たちは親です。
先は長い。

親一人が教えてやれること、守ってやれることなんて
たかが知れています。
だから子育ては一人では出来ない。

「可愛い子には旅をさせろ」とは
そういうことではないでしょうか。
いろんな人と関わり、いろんな所へ行き、
悲しいことも嬉しいことも経験させ、
そのつど学ばせてやる。
いろんな人や、いろんなモノの力を借りながら、
いつか自分の力で生きていけるようにしてやる。

それが本当の子育て。
それが本当の親の役目。
ではないでしょうか。
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by exkokoro | 2011-01-28 15:43 | 育児・教育 | Comments(0)

きょうだい順位の影響とは?

タイトル:きょうだい順位の影響とは?
担当:仁平 ゆみ子カウンセラー
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こんにちは。仁平ゆみ子です。
家族のコラム、今回は『きょうだい順位の影響とは?』です。

「兄弟姉妹順位」って実はその人の性格に意外に大きく影響しているのでは、と感じたりしませんか?

我が家には二人の息子がいますが、彼らが小学生時代のこと。
とても落ち着いておとなしめの学年は長男長女が多い、
やたら元気で先生がまとめるのに苦労するのが次男三男が多い学年でした。
たまたまかな・・・とも思いますが(笑)


あくまでも傾向ですが、
男でも女でも第一子は親も初めてのことなので慎重に子育てするせいでしょうか、保守的、勤勉。
長男は幼いころは頼りないようでも成長につれ、
自分のことは自分でなんとかすべきと頑張るタイプが多いようなきがします。
長女は幼いころからしっかり者、頑張り屋さんが多いですね。
親はついしっかりしてる長女に甘えてしまうなんてことも多いようです。


第二子で下に兄弟姉妹がいる中間子は、子供時代はなかなか日が当らない位置に。
それだからこそ親の注目を得るために問題行動おこしたりすることも。
成長するにしたがい親をあきらめ自立の道に行くのが早い傾向ありです。逞しくわが道を行く。


末っ子になると、親も対応が緩く甘くなってきます。
依存的になる場合もあれば、無駄な努力せず必要あれば援助を求めることができる
甘え上手な面があるのでは。


一人っ子は、深刻で厳しい(!)
きょうだい関係である対人関係の葛藤未経験のため依存的、自己中心的になる恐れもあるけれど、
一方では自立的で他者と一緒に生きていく努力をすることができる。


私のまわりでは、自立的で友好的な一人っ子が多いです。

以上はあくまでも傾向なので、「え?ちょっと違う」と言う人もいるでしょう。


我が家の長男は、小さいころから病弱で手がかかり、
いけないと思いつつ甘やかしてしまったように思います。

長男は、外で「え!弟いるの?絶対お姉ちゃんがいるでしょ。それか一人っ子!」と言われ、
次男は「お兄ちゃんがいるの?うそ!妹がいる感じ」と言われることが多い様子。
つまり甘ったれで甘え上手な長男と、しっかり者でやさしめの次男の兄弟。


そんな兄弟も22歳と17歳になってくると、様子が変化してきました。
ダメダメ兄ちゃんが、なぜかしっかり者に急変し、逞しいしっかり者かと思っていた弟が、停滞中。

子育ては、難しい。

言葉には出さぬが、ここにきて兄の急成長に脅威を感じ、自分に自信をなくしているように見える弟。


次男にも自信をもってもらいたい、と今になって夫婦であくせくしてしまう。
高校生の塾に夫婦で説明会に行ってしまった。

ゼミ形式の国語塾、
「なんて面白そうなんだろう、こんな塾に私も行きたかった!」とわくわくした私は、次男にこの塾をすすめる。
そっけないし、のらりくらりの次男の態度。
「ねぇやる気があるの?ないの?やったほうがいいよ」と責め寄る私。

その姿を見て、
「母さん、間違ってる。母さん自分のためにやってるでしょ!弟が自分でやろうと思わなければ意味がないよ。とくにその国語塾は。」(長男その塾体験済み)と長男。
「はぁ、そうだわ・・・たしかに。なんか焦ってる。自分の不安が強いことに気付いた。」と私。


長男がいないところで次男は言った。
「それにしてもさぁ、兄ちゃんのあの偉そうな上から目線の態度なんだよ。むかつく!なんで兄ちゃんに俺たち文句つけられなきゃなんないの?!」と次男。
「ほんと、だよねー。兄ちゃん偉そうだよね。まったくだ。」と私。(内心笑っている)


とんがってる兄弟に対して、母親としてはなんとも迫力がなくて情けない限りです。


「兄弟仲良くしなさい」なんて野暮なことだけは言いたくない。
とんがっていようが(今はむしろとんがっていたほうが)相手に関心を向けているのは悪くない。
今は、弟のほうが兄を意識して自分の価値を不安にしているところがあるなと感じています。
少し前は逆だったのに。


「きょうだい仲良くしなさい」と親に言われなくても勝手に仲良く波長が合う関係もあれば、
きょうだいは他人のはじまりともいいます。

べつに仲良しじゃなくていいのです。
対人関係におけるもっとも熾烈な葛藤があるきょうだいも、個人を鍛えてくれるのですから。


親であれば子供たちに平等に接するべきという願いをもってしまいます。
でも、それを期待し望み続けると現実的に満たされることが少ないと感じます。

そういう現実を知りつつも、
親子、きょうだい、夫婦は人として対等に生きたい、感じていたいと強く思うのです。


親としては、子供が自分の課題に取り組む援助をするけれど、
親が叱って子供に取り組ませたり、代わりにやってしまっては対等な関係にはなれないですね。

なかなか難しいですが、あきらめずにコツコツですね。
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by exkokoro | 2011-01-26 00:00 | 育児・教育 | Comments(0)

親子の連鎖に気が付いたとき


タイトル:親子の連鎖に気が付いたとき
担当:長谷川 さとみ
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新しい年がスタートしましたが、
皆さんはどのように新年を迎えられたのでしょうか。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。


この年末年始に改めて感じたことを書いてみます。

人とコミュニケーションを上手く取れない、というお話の中で
「それはきっと子どものときに、
親からこんな扱いを受けたせいなのかも…」

と、仰る方がよくおられます。

「こんな扱い」とは、押し付けのような過保護だったり
かまってもらえないという放棄だったりするのです。

こんな風に、自分の過去をさかのぼって考えてみると
どのような子ども時代を過ごしてきたのか、
どんな育てられ方だったのかを否が応でも知ることになります。

また、今はそんな自分が親になって
子に対してやっていることにも目を向けますね。

私も最近はこれらのことをよく考えるようになりました。
そしてつくづく、
人間を育てることがいかに大切かを思い知らされました。


無意識で親から受けたことを子に対してもやっている事実。
当たり前ですよね。
それが自分の中の常識なのですから。

こんな年になった私でさえ、
母親から言われることに従おうとしています。

でも、最近は意識して考えるようになりました。
それに従うのか、従わないのか。
選ぶことが自由にできる大人になったことを…


昨年の暮れ、長女が言いました。
私が言ったことに対して、
「まあ、それをするかどうかは自分で決めるけどな…」と。

思わず、「そう、そう。そうやな…」
そんな風に言うようになったんだと
驚きながらもよかった、と思いました。

彼女が自分で選ばないと、
私はまたいつもの押しつけをしてしまうかもしれない。

子の成長は親の成長へと繋がります。


今度は次女の場合。
まだ親の言う通りにしないといけないと感じているようです。

親の言うことに従ってきたので、
自分の意思を伝えることをしてこなかった。
言いたいことがあっても上手く表現できず、
納得できないイライラが顔や態度にまで出ています。

それを見ていて親の方までもがおもしろくない感情になります。
お互い言わなければ気持ちが通い合わないと
分かっているのに、そのままにして蓋をしてしまいます。

今まではこんなことの繰り返しでした。
その時の気持ちの悪い感情には蓋をしたままでした。

でも、考えてみました。
そういえば、自分も親とはネガティブな感情ほど
言い合ってこなかったな・・・
ということに気がつきました。

うやむやのまま通り過ぎてきてしまいました。
だから、今でもそのままです。

あの時嫌だったな…
その時、こう言っていれば…

心の底の方に残ったままの感情があることに
気がつきました。

この年末年始に私も実家で母親と過ごしました。
やはり、人とコミュニケーションを上手く取れない
ことがあるという母親の話をよく聞きます。

「思ってることを伝えないからやん。」
と言う私の意見はどうやら聞き入れてもらえません。

「言ってもめごとが起こるくらいなら、
言わない方がいい。」という考えのようでした。

「それで納得ならいいけど、しんどいんじゃないの?」
と、聞き返しても考えたくない様子の母親。

この程度の話は何度かしてきたのですが
今まで、娘である私からこんな話をされたことが
なかった母親にしてみれば、困惑してしまうのでしょう。

なかなか受け入れてもらえない状態です。
ですが、考えるか考えないかを決めるのも母親次第なので
付かず離れず見ていこうと、私は決めました。


話は次女に戻ります。
自分が子どもに押し付けのようなことを
いっぱいしてきたかもしれないと謝りました。

その上で、これからは自分で考えて選んでいいことを伝えました。
でも、言いたいことが上手く言葉に出来ない娘です。

「やればいいんやろ。」と投げやりに言います。
「いや、違う。やるかやらんかアンタが決めていいねんで。」
こう言っても、困惑しています。

無理もありません。今までやったことがないのですから。
というか、私がやらせてあげなかったのですから。

「お母さんが言ったことに対して、
自分の意見と合わないことがあるときは
それを言ってくれないと分からないから、
それでいいと思ってしまう。」

「自分で考えてアンタが選んでいいねんで。」
私も子どものときに、
親から言われたことは無かったのでは、と思います。

でもだからこそ、今は言います。
もっと早く言ってあげればよかったと反省しつつ
これからは違う道を選ぼうと決めた私です。

まずは、自分が違う道を進みたいと思っています。
子どもらがそれをどう受け止めるかは
今は分かりませんが・・・


昨日、「はじめてのおつかい」という
TV番組を次女と二人で見ました。

小さい子が好きな次女は、
そのかわいさに笑みがこぼれていました。

私はその小さな子ども達に対応するお母さんやお父さんの姿に、
自分はしてもらえなかったと感じることや
親になった自分が子にしていなかったことを
改めて思い巡らして、涙がこぼれました。


そして、「これからでも出来ることをやっていこう」
と、年頭の目標にしてみました。

今、親子間でしんどさを感じている人は
十代の君でも、ベテランの親であるあなたでも
『人生は自分で選択していい』
と、考えてみることも出来るのではないでしょうか。
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by exkokoro | 2011-01-12 15:01 | 家族 | Comments(0)

負の遺産を断ち切る


タイトル:負の遺産を断ち切る
担当:舞原 惠美
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あなたは、人間関係がひどく苦手に感じられることがありますか。

例えば、
・本当の自分を知られたら嫌われるのではないかと心配して、正直な気持ちを表現できない。
・よく言い争いになる。
・誰かと親しくなると、その人から傷つけられたり関係を切られたりするのではないかと不安になる
・人との関係では、たいてい悪い結末を予想してしまう。
・人の期待どおりにできないと罪悪感を感じる。
・人によくしようと思っているのに、いつも裏目に出て悪い結果になってしまう。
・恋愛はいつも同じようなパターンでダメになってしまう。
・人が自分の要求をのまないと不当だと感じる。
・人から要求されると腹が立つ。

もし、思い当たることがあれば、家族、特に親との関係を見直してみることは、問題解決の糸口となる可能性が大いにあります。
「なんでいつもこうなっちゃうの」という結果を引き寄せてしまう自分のココロのクセが見つかるかもしれません。


例をひとつご紹介したいと思います。

私の友人Mさんは、清楚な感じの美人で、男性からのお誘いも多く常に付き合っている人がいるのですが、39歳の現在まだ結婚していません。ご本人は結婚したいと思っているのですが。

「若い頃から、一人の人と長く続かないの。うまくいってても、自分のほうから別れを持ち出してしまう。飽きたとか、そういうんじゃなくて…。
今から思うと、なぜか、きっと相手にふられるような気がして、その前に自分からふらなくっちゃ、みたいな強迫観念があったように思う」とは、Mさんの談。

彼女の父親は毎晩かなりの量のアルコールを飲み、気分屋でその時によってころころと言うことが変わります。自分の機嫌次第で優しくなったり怖くなったり。殴られるのも珍しくはありませんでした。子供の頃は、いつ父親が怒りを爆発させるのかとびくびくしていたと言います。母親も恐れをなして彼女を守ってはくれませんでした。

感情が不安定な親に振り回されて育ったので、その反動で自分が周りをコントロールしていないと不安でたまらないのです。そうすることで子供のときの体験を繰り返すのを避けられると、無意識のうちに信じているのです。

「人はあてにできない」という考えが心の奥底に巣食ってしまった為に、付き合っている相手を信じられず、どうなるか分からない恋のプロセスの不安に耐えられなくて自分から別れを切り出してしまうのでした。


彼女のようなパターンばかりでなく、

完璧主義で、高い目標を達成しないと認めない親
子供との境界線を引けない過干渉な親
自分の無力感をごまかす為に、何でも子供のせいにする親
体罰、または言葉の暴力で傷つける親
性的な行為を強要する親


この世に完全な人間が存在しないように、完全な親というものも存在しません。
どんな親でも欠点はあり、ときにはひどいことをしてしまうこともあるでしょう。

親といえども、自分の事でいろいろやらなければならない事があるのが普通だし、それで精一杯なときもあります。基本的に信頼関係が築けていれば、たまに「ああ、やっちゃった!」と思うようなことがあっても子供は大丈夫なものです。

けれども恐ろしいのは、親自身が気づかず、または正当化しながらこのようなパターンを「続けて」いくことです。そして、子供がまたそれを、現れ方は違っても(暴力は振るわないが、いじわるをしたり、不機嫌になることで攻撃する等)繰り返していってしまうということなのです。

親も、またその親からこの負の遺産を引き継いできました。どこかで断ち切らなければ、連鎖はどこまでも続いてしまいます。子供の苦しみという毒を撒き散らしながら。

「いやだいやだ、と思いながら、気がつくと親とそっくりのことをしていた!」
「支配的な親のようにはならないと誓ってきたが、反動で、適切なしつけもできなくなっていた」

このようなことに思い当たる節があれば、ちょっと立ち止まって考えてみませんか。

子供との関係がうまくいかないときというのは、子供たちが「今までのやり方を見直すときだよ」と教えてくれているのです。そして、恋愛や仕事上の人間関係でも、親子の間で形成されたココロのクセが反映されていることが多いのです。

まず、その連鎖の存在に気づき、簡単ではないけれど、自分の考え方や行動パターンを変えることに取り組んでみるのはどうですか?

これにはやってみるだけの価値があります。だって、これから生まれ来る子孫たち全てを救い、「自分の人生を楽しむ」と言う素晴らしい遺産を残すことになるのですから!
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by exkokoro | 2010-12-22 11:18 | 育児・教育 | Comments(0)

夫婦のこじれと親子のこじれ


タイトル:夫婦のこじれと親子のこじれ
担当:仁平 ゆみ子
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こんにちは。仁平ゆみ子です。
家族のコラム3回目は「夫婦のありかた」を考えてみたいと思います。

恋愛期間を経て「この人こそ」と心に決め、結婚して夫婦になる。
さて、夫婦になると何が起きるのか。
新婚時代、子育て期、中年期、老年期と夫婦の関係はどうなって
いくのだろう、と25年前の私は不安でいっぱいでした。
3年持てばよしとしよう・・・と本気で考えていたこと
思いだしました。夫のこと本気で好きだったからこそそう思っていました。へんですかね? ちょっと変わってますよね。

なんでそんな不安があったのか、と言えば、
両親をみていて結婚生活に楽しみなんてありえないと思いこんでいたようです。

程度の差こそあれ、親子問題のこじれを全く持たない人などいるのでしょうか? 
結婚した男女はお互いが親子問題のこじれを持っている者同士やっていくわけですから、行く先々に問題がころがっていて当たり前。

子のことをわがことのように思う親心というのは、愛情と言う名を借りて、他者であるわが子に侵入し支配するという視点もあるのです。
「あなたのためよ」「あなたが心配」という親の言葉は、親自身のメンツだったリ親自身の将来の心配だったりすることを、私は息子たちに教えてもらいました。
親にやってもらえなかったことを子に実践しては、自分を癒し喜ぶなんてことも。もしかするとこの喜びは、自分自身の自己実現だったのか、純粋にわが子の成長を喜んでいるのか、わからなくなることが今もあります。

夫婦問題の根っこは、親子問題が絡んでいるということです。

夫婦なんだから、自分のことわかってよ! 理解してよ!と
強く求めてしまうのですよね。

結婚したら、「愛情」も「セックス」も「子育て」も、「相手からの理解」も、「安らぎ」も
みんなみんなほしい、どれかが欠けたら許せない、ひどい、って
思っちゃう。女性は特に思いこんでしまっていませんか?
すべてを完璧に求めることは無理があるかもしれません。

たとえ、「愛情もとめなくても」、「セックスレスでも」「子がいなくても」「子に問題生じても」「理解することわかってあげることがなくても」「安らぎが不足しても」夫婦は気持ちのよい関係になる可能性あるのです。

夫も妻も、それぞれが自分のなかで自他境界線をしっかりひいていること。
これはとても重要なのです。相手の問題と自分の問題を切り離して感じとることができるからです。
相手を支配すること、相手に吸い取られることはなくなります。

私と夫は結婚25年。会話の多い夫婦です。心身ともに交流深く充実していると実感していますが・・・
お互いを理解し合っているかと言うと、そうでもなくて。
昨日、夫に『夫婦ってどういう関係だと思う?』と聞いたところ
『夫婦はそりゃ、一心同体だろ~!』と夫。
『え~?!マジでそう思ってるの?
ありえない、異議あり!夫婦はそれぞれ別々の船に乗ってるのよ。
一心同体なんてありえない~!!』と私。
『え~?!冷たいなぁ。 夫婦は同じ夢を持って生きているんだよ。』と夫。
『は~?! 別々の人間なんだよ。同じ夢ってことないでしょ。
違う夢持っているのでいいじゃないの。』と私。

こんなチグハグな夫婦の会話。
話せば話すほど、夫と私は違うなぁ、理解不能だぁと感じ
わかり合うって言うのは無理だわ。
でも、なんか面白いのです。なんかホッとするのです。

相手にわかってもらおうとすることを断念することは、
「断絶」とは全然違うのですよね。
自分の思いとちょっと違うからと言って、不満に思って
相手と断絶するなんてつまらない。
理解されることを期待され求められるコミュニケーションは重い。
よくわからないけど、何となく安心できて面白いなぁと思える関係が私は好きです。
自分自身の期待を「断念」するほうが、自由で面白い関係になっていきますよ。

断念するためには、思う存分自分の欲求と期待を見つめて味わっては「くたびれ果てるプロセス」が必要かもしれませんね。
若いうちに、『くたびれ果てるプロセス』さんざん味わうと
中年期はとっても楽チンで心愉しい夫婦になれるようです。実感。
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by exkokoro | 2010-12-15 15:24 | 結婚・夫婦 | Comments(0)

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