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痛みよさようなら


タイトル:痛みよさようなら
担当:長谷川 泰三
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今回は私自身のセラピー体験をお話ししましょう。

私自身が12年前にカウンセリングしてもらったときの話しです。

私達の心と身体は大き く影響しあっています。

カウンセリングをしていると心の問題が身体の問題になって出ている場合が多くあります。

今回のテーマは「痛み」と心についてです。

私は20年前に交通事故 で脊髄を損傷し、それが原因で両足がマヒして車椅子に乗っています。

当時の私にとっては、車椅子の生活をしなければならないことはとても大きな問題だったのですが、実は問題はそれだけではありませんでした。

その後、私は「死ぬほ ど痛い神経痛」にずっと悩まされることになったのです。

その神経痛は10日に1 回くらいの間隔で私の右足を襲いました。

一度痛くなってしまうと、どんなに強い痛み止めでもその痛みを抑えることはできません。叫び声をあげるような激痛が丸一日は続きます。

車椅子の生活には時間とともに慣れることができたのですが、この「神経痛」の痛みには慣れることはできませんでした。

いつ襲ってくるのかわからない神経痛、それはまるでいつ爆発するのかわからない時限爆弾を体に抱えて生きているような感じでした。

最初はこまめに病院に 通い、神経痛に効くと聞けば色々な治療法も試してみましたが、効果はありませんでした。

大量の痛み止めを持ち歩き、痛みがおきそうになると持っている痛み止めを全部使い果たす。それでも痛みはおさまりませんでした。


「病院なんて行ってもしかたないし…どうせ治らないんだ!」


病院へは薬がなくなっ た時に、痛み止めをもらいに行くだけになりました。

私は捨て鉢になっていました。

私にとって痛みを治すことをあきらめるということは、同時にたくさんのことをあきらめるということでした。

旅行先で神経痛が襲ってきたらどうしようと思うと旅行にも行けません。

デートは?仕事は?何もできなくなってしまう、という恐怖は言葉にはできないくらい大きなものでした。

その恐怖が私に大量に痛み止めを使わせました。

薬の副作用で体はガタガタになり、内臓にも悪い影響がではじめました。

「長谷川さん顔色悪いよ」と言われることが多くなり、周りの人もずいぶん心配してくれました。

そんなある日お世話に なっていたカウンセラーが私が苦しんでいることを知り電話をかけてきてくれました。


「そろそろ神経痛のセラピーを行ってみませんか?」

「せっかくですがセラピーで治るとは思えないんです」

「そうとも限らないよ」

「色んな所に行ってみましたが、全然だめだったんです」

「でも、心理療法はまだやってないでしょ?」

「ええ」(あまりにも激しい痛みのため、心理療法で治るとはそうなんて考えもつきませんでした)

「本当によくなるんですかね」

「心の力って案外すごいものだよ」


カウンセラーの言葉に 半信半疑ながら、面談カウンセリングをお願いしました。

数日後、カウンセリン グルームに出向いた私は正直に気持ちを話しました。


「あまり期待はしていないのです」

「どうしてですか?」

「期待してダメだったことが多かったもので」

「裏切られることが多かったんですね」

「そうです。だから期待しないようにしているんです」

カウンセラーはカウンセリングの中で神経痛の痛みのつらさや、それを抱えているためにどこにも行けなかったこと、いつ襲ってくるかもしれない痛みに対しての不安などを根気よく聞いてくれました。


「もう死にたいって思ったことが何度もあるんです」

「それは辛かったですね。その足がそんなに痛むのですか?」

「こんな足なんか切って捨ててしまいたいって思いました」

「でも、その足はあなたの一部なんですよ」

「でも憎い!でも憎い!こんな足なんかなくなってしまえ!」


私は自分の右足を叩いていました。

しまいには涙が出てきて止まらないようになり、ワンワン泣きながら力いっぱい右足を叩きました。

この足が悪い!この足が私を苦しめる!まともに歩くこともできない上に私をただ痛めつけるだけの足なんか切り落として捨ててしまいたい!

その時、カウンセラーが私に意味不明なことを言ったのです。


「長谷川さん、もしそんなにひどい痛みをあなた自身が望んでいたとしたらどうしてだと思います か?」

「そんなことは絶対にないです。 あるはずがない!」

「あなた自身も気付いていないかもしれませんが、その痛みに目的がある
としたら....」

「私はあなたの言っていることがよくわかりません!」


私は怒りをカウンセラーにぶつけました。

この人も私のことを分かってくれない!私自身が自分の足を痛めつけてるだなんて、そんなことあるはずがない!


「長谷川さん、もっと以前、子供の頃に大きな病気やケガをしたことはありませんか?」

「子供の頃は小児ぜんそくにかかっていましたけど....」

「小児ぜんそくですか。どんな時に発作が起きたか覚えていますか?」

「あまり覚えていません。小児ぜんそくと神経痛は関係あるんですか?」

「はい、多分関係があると思いますよ。少し子供の頃のお話しを聞かせてもらえませんか?」

「子供の頃のことですか....」


私はそれまで、あまり他人に子供の頃の話をしませんでした。

思い出すと嫌な感じがして、またあの時代が戻ってくるような気がしたからです。

4才のときに両親が離 婚したこと、親戚や母親の友人に預けられていたこと、母親の再婚、新しい父親とうまくいかなかったこと、小学生の頃からアパートで一人暮らしをしていたこと、ずっと寂しかったこと…そんなことを話していると涙が出てきてしかたありませんでした。


「ずっと寂しかったんですね」

「…」

「長谷川さんの痛みの原点を探すためにやってみたいことがあるんだけどいいかな?」

「どんなことをするんですか?」

「心が持つイメージの力を借りるのです」

「イメージの力ですか?」


私はベットに横たわり目を閉じました。


「長谷川さん、今、足は痛くありませんか?」

「少ししびれが強くなってきました」

「他に痛みを感じる部分はありませんか?」

「胸の部分が少し」


私はそう言いながら「足と胸(ぜんそく)」が関係しているかもしれないと思いました。


「では、それを感じていてください。感じながら何か思い浮かぶものはありますか?」

「子供の頃…多分4才の頃に住んでいた家だと思います」

「誰かと一緒にいますか?」

「いえ、一人でいます」

「その子は一人で何をしていますか?」

「せきをしています」

「では、そのせきをしている4才のあなたの気ちを感じてみてください」

「はい…とても不安で寂しい感じがします」

「その子は何か言いたがっていませんか?」

「はい。でも我慢しなきゃいけないって思っています。だんだん足が痛くなってきました」

「その子は何を言いたがっていますか?」

「助けてって言うのを我慢してます」

「その子に言ってあげてください“我慢しなくてもイイんだよ”って」

「ダメだ!言っちゃダメなんだ!お母さんが困るから…足が痛い!痛い!う~痛い!」

「長谷川さん、助けを求めてイイんですよ!言ってあげてください。その子のために“助けて”って言ってあげてください」

「うー痛い!痛い!痛いー!お母さん助けて」


気がつくとカウンセラ ーが私の足をさすってくれていました。

そしてもう足の痛みは消えてなくなっていました。

あなたにとって『痛み』というのは助けを求める声だったんですね

「確かに私は母親に助けを求めない子供でした」

「なぜだったか分りますか?」

「母親が困ってしまうような感じがあったからです」

「やさしい子供だったんですね」

「母親もがんばっていましたから、私ができることは『がまん』くらいしかありませんでした。助けを求めちゃいけないと思っていたんです」

「子供のころは喘息の発作... 大人になってからは神経痛... 長谷川さんが辛くて助けて欲しいとき、そしてそれを我慢したときにそれがおこるみたいですね」

「たしかに、そうですね」

「簡単にいえば助けを求めない分、足が痛くなるということです」

「はあ、ということはちゃんと助けを求められれば神経痛がなくなるということですか?」

「そうかもしれません。どうですか、やってみる価値はありませんか?」

「ええ、それで神経痛が治るのならやってみたいと思います」


このカウンセリングをきっかけに、足の痛みは私を苦しめるものではなくなりました。

何よりもよかったことは、周りの人達と深くつながることが出来るようになったことです。


「神経痛よありがとう!私に助けを求めることを教えてくれて、ありがとう さようなら」
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by exkokoro | 2011-04-13 19:45 | 心とからだ | Comments(0)

親父の勲章


タイトル:親父の勲章
担当:長谷川 泰三
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かなり前の話しですが、当時おこなっていた無料電話カウンセリングに
こんな電話がかかってきました。

あの~え~っと 別に何でもないんですけど
(別に何でもなかったら、ここには電話してないハズ...)

「あの~ 仕事の問題って聞いてもらえるんですか?」

「ええ、どんな事でもお伺いしますよ。さてどんな問題なのでしょうか?」


その方は30代の男性で、3ヶ月前に仕事を辞めてから仕事に対して意欲的に向き合えなくなってしまったというお話しでした。

仕事を探さなきゃって思っとたんに吐き気がして、ときには本当に吐いてしまうこともあるのだということでした。


「すいません。こんな話しで... 情けないというか...」
 

彼は私に対して本当に申し訳なさそうに話すのでした。


「そんなに自分を責めてはダメですよ。何か郵便ポストが赤いのも俺のせいって感じですね(笑)」

「ははっ(笑)そうですね。最近、友人にも『お前ごめんなさい星人か!』って言われています」


最近の彼は誰に対しても『ごめんなさい、ごめんなさい』っていうので、友人から“ごめんなさい星人”とあだ名をつけられたそうです(笑)。

それからお互い45分間気楽な感じでいろいろな話しをして、彼は私を気に入ってくれたようです。


「長谷川さん、会ってお話しはできませんか?」

「面談カウンセリングをしたいということですか?」

「はいっ、ぜひ会ってお話しをしてみたいのですが...」


それから数日して彼は大阪のカウンセリングルームへやってきました。

彼は会ったとたんに引きつった笑顔で『すいません』といいました。


「どうしてあやまるのですか?」

「何か自分が悪いことをしているようで...」

「何か悪いことでもしているのですか?」

「イヤっ別に悪いことはしていないのですが、仕事をしていないってことがすごく悪いことをしているみたいで...」


彼は背広が似合うとても真面目そうな青年でした。


「3ヶ月前まではどんな仕事をされていたのですか?」

「はいっ、外資系の会社で営業をしていました」

「外資系の会社で営業ですか。忙しくはなかったですか?」

「それは... 口では言えないくらい忙しかったです。ちゃんと寝るヒマもなかったんです」


朝8時から夜中の11時まで、働いて、働いて、くたくたになって働いて... そんな数年間だったそうです。

彼はとても頑張り屋さんだったみたいで、会社からも認められてぜひ“リーダー”になってくれと言われた矢先に仕事に行けなくなってしまいました。


「会社を辞める前に、お休みをとったりはしましたか?」

「イヤっ、これ以上は迷惑はかけられないので辞めることにしたんです」


彼は以前、会社を無断欠勤したことがあるそうです。

その時も同じように仕事に行けず、その上家にも帰れない状態でどこに行くでもなく、街をウロウロしていたのだそうです。

3日間、会社を無断で休んだあとで会社に出向き「辞める」という彼を上司が引き止めてくれたのだということでした。

それから彼は一生懸命頑張り、会社の信頼も得て、さあ“リーダーに!”というところで今回の問題がおこったのです。


「以前も辞める、辞めないという問題をおこしていますので、今回はもう...」

「休むことは出来なかったんでしょうか?」

「サボる自分を許せないんです... 何か最低だって感じで...」

この罪悪感は普通ではないと思いました。

心の底で自分以外の誰かを責めているに違いない... 誰を責めているのだろう?


「今の彼方の状態って誰かに似ていませんか?」

「私の今の状態? 仕事に失敗して... 最悪って感じ... あ~っ、親父だ!」

「その親父さんのことを聞かせてもらえませんか?」

「え~っ、親父~ う~っ、あんまり考えたくない」
(そうか親父さんだったのか... キーワードは親父さんか...)


彼の親父さんは昔、仕事で大きな失敗をしたのだそうです。

惨めで、家族にも愛されずに最悪の親父... 

俺はリッパな男になるんだ! 成功するんだ!出世するんだ!「絶対に親父みたいになるもんか!」そう言い聞かせながら頑張ってきたのだそうです。


「お父さんが仕事に失敗されたのですか。そうだとしたら、貴方が大きな会社に就職したときお父さんは喜んでいたでしょう?」

「イヤっ、親父を裏切っているような感じがして..何かよけいに近寄りにくくなってしまって... 」


(そうか、親父みたいになるものか!って大企業に就職したとき、それが親父さんに対しての攻撃や裏切りみたいなものになってしまったんだな)。


「私は子供のころ親父に怒っていました。何でしっかりしてないんだよ~ 何でうちが貧乏なんだよ~ って思っていました」

「最近、その親父さんに似てきたって言われませんか?」

「よく言われます... 最悪ですが...」

「今の貴方だったら、親父さんの気持ちが分かるんじゃないですか?」

「・・・・・・・・」


私達はみんな子供ころに親に対して不満を持ちます。

まるでボクシングを観戦しながら“もっと頑張らんか~”“何やってんねん!”って言っているようなものです。

子供の頃の私達は“大人の世界”というリングを観客席から見ているだけでよかったのですが... 


「今、私がそのリングに上がっているんですね」


「そうです。その通り... もう親父さんと同じ世界に生きているんですよ。
だからなかなか思うようには出来ないってことが、今の貴方なら分かるハズですよ。やっと親父さんを理解できる年になったってことですか」


「たしかにそうかもしれません...」

彼にとって親父さんのようになってしまうのが人生最低で最悪のことだったのです。

それが彼の心の中でまるで“おばけ屋敷”のように恐怖の象徴になっていました。

(このおばけ屋敷をなんとかしないと...)


「少し親父さんのことを考えてみましょうか?」

「何だかイヤな感じがします。親父のことを考えると同じようになってしまいそうで」

「でも、親父さんを理解することで今の状況を抜けることができるとしたらどうでしょうか?」

「私もそんな感じがしてきました。親父を理解することが必要かもしれない...」

「では、イメージを使って親父さんを理解してみましょうか?」

「えっ、イメージを使うんですか? そんなことできるんですか?」

「出来ますよ。ここには親父さんはいませんから、貴方の記憶とイメージを使うんです」

「たしかに親父はここにはいませんもんね(笑)」

「では、軽く目を閉じて... 深呼吸をして...  リラックスして... 親父さんの若いころをイメージしてください。貴方が小さかったころの親父さんです。どんな親父さんが見えますか?」

「一生懸命働いてる親父が見えます... もうクタクタなのに.... 頑張ってる...」

「なぜそんなに一生懸命働いてるのでしょう?」

「わかりません。何故だろう?」

「イメージでその親父さんに『何故そんなに頑張るのですか』って聞いてみてください」

「・・・・・・・・」

「親父さんは何てこたえますか?」

「こっ、子供がいるんだ。あの子の為に頑張らなきゃいけないって...」

(彼は親父さんの愛を感じて泣いていました)

「親父さんにどんな息子になって欲しいですかって聞いてみてください」

「大きな会社に就職して、りっぱな男になって欲しいって言ってます」

「そうですか、貴方がりっぱになることは親父さんの夢だったんですね。だからイイ学校にも行かせてあげたくって一生懸命頑張ってるんだ」

「そうです。知っていました... イヤっ忘れていました」

「今の貴方がその若い親父さんを見て、何か言ってあげたいことってありますか?」

「あります! あります!」

「言ってあげてください」

「お父さんありがとう、お父さんありがとう、お父さんありがとう」


彼は親父さんに感謝という勲章をいっぱいあげたようです。

もう親父さんはおばけ屋敷ではなくなりました。

そして彼は今も大きな会社で働くべく頑張っていますが、それはもう親父さんを攻撃する為ではなく、 親父さんから夢のバトンをもらったイチロー選手のように晴れ晴れと仕事に向き合っています。

念願の彼女もできたそうです。

彼は親の心を理解して、本物の親になる準備をしはじめたようです。
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by exkokoro | 2011-04-13 18:20 | 家族 | Comments(0)

家族の絆


タイトル:家族の絆
担当:長谷川 泰三
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和男さん(仮名)は30代半ばの男性で、
中学生の女の子と小学生の男の子のお父さんでした。


「娘が全然いうことをきかなくて...」


彼は中学生の娘さんが最近、反抗的で親子ゲンカばかりしていまうということを話してくれました。


「つい“カーッ”となって手をあげてしまうこともあるんです。自分でも最低だなって思います」

「そんな自分を責めているんですね」

「・・・・・・」

「どんな時によくケンカしますか?」

「はい... 大体が夕飯の時なんです」


彼の家では夕飯に関して絶対の“決り事”があるらしいのです。

それを最近、娘さんが守らないのでケンカになってしまうということでした。


「それで、その“決り事”って何なのですか?」

「そっそれは、7時に皆そろって“頂きます”ってやることなんです。へっ変ですか?」

「ははっ(笑) すいません、ごめんなさい。イイじゃないですか、皆でそろって頂きますですか」

「もう、笑わないでくださいよ。笑われるからあんまり人には言いたくなかったんです」

「すいません(笑) でもあったかくて、のどかな感じがしてイイと思いますけど」

「それが、あんまりのどかでもないんです...」


子供が小さい頃はまだ よかったのですが、娘さんも最近は友達との付き合いがあったりして
7時には帰ってこないときがあるのだそうです。


「夕飯に皆そろわないと幸せが崩れてしまいそうで、どうしてもきつく叱ってしまうのです」

「どうしてそんなに皆そろうことにこだわるのですか?」

「それは...」


和男さんは子供のころ 施設に預けられていたそうです。

家族というものを知らない彼は、自分の家族というものを強く求めたということでした。

そして早くに結婚をし 子供をもうけ、自分の家族というものを手にしたのです。

しかし、和男さんはど のようにして子供と関わっていけばイイのかが分からなかったそうです。

そんなときにある出来事を思いだしました。昔、友人に夕飯に誘ってもらったそうです。

家族が皆そろってワイワイガヤガヤいろんな話しをしながらとても楽しい食事だったそうです。

こんなに楽しい食事は初めてだと思った和男さんは皆がとても幸せそうに見えたのだそうです。

「なるほど、それで7時に皆で頂きますですか」

「自分には経験がなかったもので... きっと家族というものは皆で楽しく夕飯食べながら...
これが幸せなんだって思ったんです」


家族の幸せというものがどんなものか知らなかった彼は、両親からもらえなかったモノの中に
“家族の幸せ”があるんだと思いました。

休日は家族と一緒... 皆で旅行に行ったり... 遊園地に出かけたり... 本当に彼は頑張りました。

仲のイイ家族、幸せな家族を作るために一所懸命頑張ったのです。

彼が両親からもらえなかったモノを子供達に与えてきたの です。


「子供達が喜ぶと思ってやっていたんですが、喜ぶどころか鬱陶しいって言われる始末です」

「毎週、毎週じゃ子供達も友達と遊ぶヒマがないんじゃないですか?」

「はい、そう言われます。ですから休日に一緒にどこかへ出かけるっていうのはひかえています。
でも夕飯は一緒に...」

「それだけは譲れないのですね(笑)」

「はい... そして子供達は離れていくばかりなのです」


昨日も7時の夕飯に遅 れた娘を叩いてしまって、奥さんからも下の息子さんからも白い目で見られ、
娘さんは泣いてるし、最悪で最低の“頂きます”だったそうです。


「家族がうまく行かないのも私が施設育ちだからでしょうか?」

「どうしてそう思うのですか?」

「同じ施設を出た仲間達も家族のことで悩んでいる人が多いもので...」

「なるほど、それは自分が親に傷付いた分、子供に対して完璧な親にならなくてはいけないって
思うからではないでしょうか?」

「確かにそんな感じがします」


和男さんも完璧な親に なるために頑張っています。

親からもらえなかっ たものを一所懸命子供に与えようとしています。

それはとてもイイことなのですが、ただその原動力が“親に対しての恨み”というものだったとしたら
うまくはいきません。

そうなると加減がきかないのです。

やり過ぎてしまうのです。

イイことをしながらも同時に誰かを攻撃している... 片手で花束を持ちながらもう片手のピストルで誰かを
打っているようなものです。

和男さんは誰かを許す必要があるみたいですね

「えっ? 許す? 誰をですか?」

「貴方に家族の幸せというものを教えてくれなかった人ですよ」

「それは両親ということですか?」

「はい、そうです」

「両親... 残念ながらあまりお話しすることはありません。一緒にいませんでしたから」

「そうですね、そして一緒にいてくれなかったことを怒っていませんか?」

「今はもう怒ってなんかいません!!」

「そう言いながらも今怒ってませんか?」

「・・・・・」

「貴方は家族の絆を作るために頑張ってきました。とてもイイことをたくさんしてきました。
でもそれがうまくいかないときは“それをやっている動機”を考えてみてください」

「それは親が私にしてくれなかったからです! 私はずっと寂しい思いをしてきました。
私はあんな親にはなりたくありません!」

「確かに貴方は正しいことをしています。でもそこに恨みはありませんか?」

「・・・・・・」

「せっかくイイことをしているのに、親への攻撃を目的にしていませんか?」

「そうです! それがいけないのですか!!」

「いけないことはありません。しかしそうなると貴方は親として“やらねばいけない”ことが多くなるでしょうね。
それも完璧に、もし出来なかったらあの親と同じになってしまうと思うでしょうから」

「そうです。無責任な自分の親と同じにならないように頑張ってきました」

「それは私も認めます。本当に頑張ってきましたよね。でもうまくいかない...」

「はい、一体どうしたらイイのでしょうか...」

「そうですね。動機と目的を変えましょう

「そうするとうまくいくのですか?」

「はい、イイこと正しいことをしていてうまくいかないときは動機や目的を変えるとうまくいくも のですよ。
どうですか、やってみますか?」

「はい、それで家族がうまくいくならやります。一体どうすればイイのですか?」

「ではやってみましょう。方法はまかせてもらえますか? まあ簡単に言うとイメージの力を借りるのです」

「イメージの力ですか.. 」

「はい、心の中でお父さんやお母さんに出会っていくんですよ」

「何かイヤな感じですが、それで家族とうまくいくのならやってみます」

「軽く目を閉じて、大きく深呼吸をして... リラックスして.... 子供のころを思い出してくだ さい。
一番寂しかった、辛かったときのことです。何才の貴方が見えますか?」

「8才のころの私です... 施設に預けられて、皆にとけ込めずに一人でいます」

「その子の気持ちが分かりますか?」

「不安... 寂しい... お父さん、お母さんが恋しい...」

「その子の親になったつもりでその子供を見てあげてください。貴方のお子さんを見るように
その子を見てあげてください」

「・・・・・・」


彼は涙を流していました。


「今どんな気持ちですか?」

「この子を助けてあげたい! 抱き締めてあげたい!」

それが、貴方のご両親の気持ちですよ。そんなふうに貴方をどこかから見ていたんですよ」

「知ってます... いやっ、知らないフリをしていました」

「貴方のご両親も貴方を愛したくて、抱き締めたくて、でもそれが出来なくて辛い思いをしていたんでは
ないですか?」

「はいっ....」

「両親を求めている子供、子供を抱き締めたい親... 離ればなれになってしまったこの親子を
イメージで一つにつなげてあげましょう。 ご両親も貴方を愛したかったのですよ」

「はい...」

「小さな頃、まだ貴方がご両親と一緒にいたころを思い出してください。どこに住んでいましたか? 
お家の周りの景色を憶えてますか? 子供のころによく遊んでいた場所にその子はいます」

「はい...」

「小さな男の子に近付いていってください。そして、『一緒にお家へ帰ろうね』って言ってあげてください」

「はい... 泣きながら私に抱き着いてきます」

「その子の手を引いて、お家へつれて帰ってあげましょう」

「嬉しそうにはしゃいでいます」

施設を出た後、両親から連絡があり「会いたい」と言われたことがあったそうです。

でも彼は“何を今さら”と断ってしまったそうです。

子供のころは仕方ない事情で両親が彼を遠ざけました、でも今は彼が両親を遠ざけています。


「その子はずっと一人だったんですよ。誰かが迎えに来てくれるのをずっと待っていたんですよ。
懐かしいお家の玄関を開けて、その子と一緒に『ただいま!』って言ってください。
お父さんとお母さんに聞こえるように大きな声で...」

「ただいま! お父ちゃん、お母ちゃん、今帰ってきたよ。ただいま!」

「お帰りなさい... そんな声が聞こえませんか?」

「はいっ、聞こえるような気がします。とても懐かしい声が聞こえます.. 」


その後、彼はずっと遠 ざけていた両親に会いに行きました。


彼の両親は事業で失敗し、彼を巻き込むことは出来ないと考え泣く泣く自分の子供を手放したのです。

そして、ずっと彼を遠くから見守っていたのだそうです。

彼の家では相変わらず の“皆そろって頂きます”をやっているらしいですが、 娘さんが遅れて帰ってきても
笑顔で「お帰り」って言えるようになったそうです。

今では7時でも、8時でも笑顔で“頂きます”ができる家族になりました。

彼の心の中ではもう“ 皆で頂きます”は両親を攻撃するものではなくなったのです。

本当はそれを両親も望んでいたのだと感じることができ、両親からのバトンを引き継ぐことができたのです
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by exkokoro | 2011-04-13 17:03 | 家族 | Comments(0)

頑張り方を変える



タイトル:頑張り方を変える
担当:仁平 ゆみ子 カウンセラー
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こんにちは。仁平ゆみ子です。

みなさんは、「頑張る」ということばを聞いてどんなことを連想しますか?

頑張る≒つらいことである?
頑張る≒楽しいことでもある?


①頑張ることはつらいことと思う人はうつになりやすい(落ち込みやすい)
頑張り方をして生きている人かもしれません。

②頑張るって結構大変だけどやりがいあるし楽しい、と思う人は
生きることは楽しいと感じていられる人でしょう。

この①と②の違いはいったいなんだろうか?と疑問がわきます。


いまどきは、頑張らないのがいいという風潮も。
頑張っているひとにあえて「頑張れ」とは言いづらいし、
うつ病のひとに「頑張れ」と言ってはいけないということが、今や常識となっています。


これはうつ病とがんばりすぎという意味においての関係性を表しているけれど、
うつ病の正確な理解ではないようです。

生きていくには、食べて眠って、そのために日々頑張らなくてはならない。
その頑張りがあって初めてその上に人生の楽しさも嬉しさも生まれてくるのです。
だから、問題は「頑張る」ことそのものにあるのではなく、「頑張り方」が問題になるのです。



①のように落ち込みやすい、うつになりやすい頑張り方というのは、
目的地に着くことだけを考えて歩く旅人のようなもの。
歩くことは手段であり日々の頑張りは単なる義務でしかない。
その目的地自体ぼんやりとしていて、自分が何を期待しているのかはっきりしていない。
実は自分が選んでいるわけでもなく、望んでいる目的地ではなかったりするのです。

②のような結構大変だけどやりがいあるし楽しいと感じる頑張り方というのは、
旅の目的地は自分で選んでいる場所で、何か楽しいことが待ち受けている感じ。
目的地に向かってただ歩くだけでなく、道行く景色やすれ違う人たちとの出会いを楽しむ旅。
これなら頑張ること自体が楽しい。


同じ「頑張る」でも①と②では「頑張り方」の違いが大きく、
それが生き方の違いになっていくのですね。


皆さんはどうですか?①と②両方経験しているよ、と言う方も、
①だけと言う方も、②だけだよ、と言う方もいらっしゃるでしょう。

今の私は②の頑張りかなぁと思うけれど、
「死にたい」くらい苦しかった時のことを思い出すと①の頑張り方をしていました。
それは必死に。


どうして①の頑張り方をしてしまうのだろうか?とまた疑問がわきます。
簡単に②ができれば苦労はないわけです。


どんな人にも必ず「こうあるべき」という生きていくうえで
最低限守りたい自分なりの規律というものがあります。


「人に迷惑をかけてはいけない」
「人との約束は守るべき」
「人から評価され褒められる人でなくてはいけない」
「仕事は100%完璧にこなすべき」
「体調万全で弱音ははくべきではない」
「人の役に立つ人でなくてはいけない」
「退屈な人嫌われる人になってはいけない」
「優しく人に接するべき」
「尊敬される人でなくてはいけない」

などなど、最低限といいながらたくさん規律がある人、
たった一つか二つの規律を必死に守る人と、いろいろあるわけですよね。


「もう、だめだ、自分の価値がない、生きていたくない」と考えてしまうのは、
自分なりの規律が守れなくなったとき、もう頑張れなくなったときです。



そんなとき「そこまで思いつめることもないじゃない?」
「もっと適当でいいじゃない」と人に言われても、
そう簡単に自分の生き方の規律を取り外すことはできなんです。


ずっと子供のころから家族の中で、
集団の中で知らず知らずのあいだに刷り込まれてきた自分なりの規律。
その規律とは実は、人とのつながりを保つために作り上げてきたもの。

自分が「ここ」にいてもいい、自分が生きることを許されているような、
自己肯定感と安心感を作り出している大事なもの。


その規律を保とうとして頑張り、それが守れないと感じた時
死んでしまいたいと思うくらい辛い。

そして、自分の規律が守れなかったとき人は自分を責める。


「どうしてできないんだ!」「なんで間違えたんだ!」
「最低だ!」「自分を許せない!」「自分はダメだ!」
「もっと頑張れない自分が悪い!」「だらしない!」
と自分で自分を攻撃する。


この怒りは健康な精神を破壊し、楽しみと生きる意欲を破壊します。

自分を責めることがどれほど辛く苦しいことか。
人が体験する精神的苦痛の中で最も大きいものかもしれません。

自分に向けられる怒りは、健康を営むための大切な「睡眠」と「食欲」へも向い、
それらも破壊していくのです。



もし家族がこの状態になっていたら、
自分から動くことは不可能なので病院に連れていく必要があります。
睡眠と食欲がなくなり、身体が動かなくなる状態までになると薬で治すしかありません。
でも、「頑張り方を変える」のは薬では治らないのです。


頑張り方を変えたり、自分を責めなくても生きていけるようになるにはどうしたらいいのでしょうか?


「とにかく頑張る人」の頑張る元には「不安」が潜んでいるわけです。
「恐れ」と言ってもいいかもしれないですね。
自分の規律を守らなくては大変なことになるという「恐れ」が。

だから、まず自分の規律はなんだろうかとじっくり考えてみる。

そして、自分の気持ちをあるがままに認めていくことが、生き方を変えていく基礎になります。
毎日感じるその時々の気持ちを一つ一つ表現していくことが具体的な方法です。


感情が苦しくなった今日の場面を思い浮かべて
〈疲れた、もう駄目だ〉
〈すこしずつゆっくりならできるかも〉
〈でも頑張れなかったらどうしよう〉
〈でもなにかやってみよう、しっかりしなくては〉
〈こんなことでいいのか不安になっちゃう〉


などと頑張る気持ちも挫ける気持ちそのまま表現できるようになると
心の緊張が解き放され、癒されていくことでしょう。
緊張がゆるんでくると自然に落ち着いてきます。

〈私またムキになってるわ、今頑張ってるよ、やれやれ〉
なんて思えたらいい調子。


自分の頑張りの底、原点が見えてくると頑張り方が変わってくるでしょう。


①の頑張り方がマイナスで②の頑張り方がプラスなのだからといって焦って
①→②に置き換えようとするのは難しいかもしれません。
なぜ自分が①の頑張り方をしたのかな、と考えると
それなりに深い事情があるはずでそれを理解することが何より大事です。
①である自分をとことん理解して受け入れることができると、自然に頑張り方も修正されていきます。


自分が小さいころから作り上げてきた頑張り方、生き方には深い人生の意味が込められています。
簡単には変わらない。
でも、変わらないことに気づけば、変わる。
そこには自己受容と自己理解があるからです。



自分が抱えてきた辛い生き方、その特徴に気づくこと。
その生き方を取り入れた理由をみつけること。
それを背負ってきた自分を愛おしく思うこと。


以上を心にとめながら、「とりあえず」やってみることが
あなたの可能性をより深く輝かせることになると信じています。
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by exkokoro | 2011-03-31 00:00 | 家族 | Comments(0)

「わかってくれない」理由



タイトル:「わかってくれない」理由
担当者:瀬尾 真一郎カウンセラー
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夫婦だからといって、阿吽の呼吸で話が通じるかというと、そうではありません。
長年連れ添っているからわかってくれるはずというのは、幻想なのです。


皆さんにも経験があるのではないかと思いますが、自分の言ったことを理解してくれず、
やるせない気持ちになったり、がっかりしてしまったり、
不完全燃焼のような気持ちを持ったことはないでしょうか。

「どうして、言ったことを、わかってくれないんだ」とか、
「あなたって、私のこと全然、わかってない」とか、
「そういうつもりで言ったわけではないのに、どうして、そうなるの?」など、
夫婦で話をするとイライラしてフラストレーションを感じることはありませんか。


そして、そんなことが続くと、いつしか会話をしたいという気持ちそのものが減っていき
「どうせ、わかってくれないのだから、話してもムダ」と思ってしまうかもしれません。


夫と妻がわかりあえない理由はいくつかあります。

そのひとつはまさに「夫婦だから」ということです。



冗談ではなく、夫婦という関係だからこそ、甘えが生じます。
そして
俺のことをわかっているはず。
私の思いは伝わっているはず。

という思い込みが、
誤解を招いたり、相手に求めすぎたりしてわかりあえない状況を作ってしまうのです。

まずは、思い込みを外して、相手を理解するように勤めましょう。


そして、もうひとつ、「理解力の違い」があります


これは、知能が低いとかそういったことではなく、
同じ母国語を使って会話をしていたとしても、
お互いの「言葉に対する理解力」は違うということです。


たとえば、本を読んだとき、内容を簡単に理解でき、
すぐに作者の意図を読み取ることができる人もいれば、
なかなか意図を読み取ることができない人もいます。


同じ本を読んだとしても、本の中で使用されている言葉の意味を知らない人もいるでしょうし、
表現が馴染みのないものであれば、理解するのに時間がかかる場合もあります。

すべての人の理解力が「同じ」かというと、決してそうではありません。
ときには、抽象的な表現で何を言いたいのか全くわからない場合もあります。


我が家では主語がない会話が多いので、
勝手に都合のよい解釈をして混乱してバトルになることもあります。


皆さんは、相手に理解してもらえるような話し方をしているでしょうか。
説明不足だったり、言葉が足らなかったりはしていないでしょうか。




最後に「言葉の定義の違い」があります。


実は言葉というのは、同じ言葉であっても、
聞く人、話す人によって頭に思い浮かべる「イメージ」が違います

先日テレビを見ていると、こんな事を言っていました。

「マツケン」と聞いてイメージするのは誰?
年配者は、そりゃ当然「松平健」だよ
若い人は、「松山ケンイチ」に決まってるじゃない

「リーダー」って聞いてイメージするのは誰?
年配者「コント赤信号のリーダー」
若い人「嵐のリーダー、大野くん」
ちなみに私は「トキオのリーダー城島」でした。


人によってこんなにも、定義しているものに違いがあるのです。

だから「愛情」という言葉を聞いたとき、
夫と妻が、愛情に対して同じイメージを持つとも限りません。

そのような違いは、私たちが使っているさまざまな言葉に対して起こることであり、
夫と妻との間でも頻繁に起こることでもあるのです。


だからこそ、理解し合えてないと思ったときは、お互いに確認をすることが大切なです。
お互いにわかり合っていないまま放置しておくと、いつまでたってもわかり合うことはできません。


たとえ夫婦であっても、さまざまな違いがあります。

そして、違いがあるからこそ、その都度、お互いの会話がきちんとかみ合っているか、
または、お互いが言ったことをきちんと理解できているかを、確認していくことが大切です。

そして、分かっていないのは当然だよって気持ちでいることが、
お互いストレスを溜めないでいる秘訣なんだと思うのです。
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by exkokoro | 2011-03-23 00:00 | 結婚・夫婦 | Comments(0)

家族の距離


タイトル:家族の距離
担当:松本 綾子
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私の母は、私が小さい頃から何度か入院&手術を繰り返し、最後に入院したのは確か…、私がすでに社会人になっていた頃。

手術の数日前、田舎の祖母(母の母親)と電話でしゃべっていると、おもむろに「あの子のこと、よろしくお願いします」と言われました。

正直、とても動揺し、ショックでした。

母の入院で不安な私は、祖母に甘える気満々!
「この不安を受け止めて!」な勢いで話をしている訳です。
なのに、甘えの対象であるはずの祖母が私に「娘をよろしくお願いします」と、なんだか大きな頼みごとを
してきたのです。

祖母の態度が他人行儀で、距離が急に遠くなったような寂しさを感じたのと同時に、おかしな話ですが、そこで初めて「ばあちゃんは、母さんのお母さんやったんや」ということに気づきました。

それまで私は「祖母=私のおばあちゃん」「母親=私のお母さん」という側面でしか見てませんでした。

例えば母の場合。
もちろん父の妻であることも、姉の母親であることも認識はしていたのですが、私にとって大前提は「私の母親であること」。

「母親なのにこんなこともしてくれない!」
「母親のくせに間違ったことを言っている!!」
「母親なのに私を信じてくれない!!!」
母親はこうであるべきだという私独自の(しかもかなり基準は厳しい)フィルターを通して判断。
ビシバシたたき斬ってきました。

あれれ・・・
そういえばこれは、母親がよく言ったセリフと同じ。
「子供なのに親に反抗して」
「子供のくせに偉そうな口聞いて」
「子供なのに…」

言われる度に「ムキィ~(怒)!!!」とくってかかり、「そうじゃないのに!」と叫び狂いたくなるほど窮屈で、縛られているような息苦しさを感じていた。

完璧な人間なんていないのに、私は母にいつも「完璧な母親であれ」ということを押しつけていたんだな~。
それがどんなに窮屈で苦しいことか知っているくせに。

そのことに気づいてからは、ドンパチぶつかることはあっても努めて意識して、押しつけることを避けるようにしてきた。
フィルターの絞りをグワッとゆるめてみたり、違う方向から観察してみたり。

見えてきたのは、決して完璧ではない母。
抜け抜けで、変なところで気をつかったり、意外とクヨクヨしてたり・・・。
私とおんなじ。なんだ、なかなか愛苦しい。

いつの間にか「母親は完璧でなくていい」自分の中でそんな許可がおりていました。
そして私はもうかなり大人だけど、いくつになろうと母親にとっては子供なんだ。

父として母として・夫として妻として・子供として・祖父母として・・・
家族の中で、それぞれの存在であること、その距離を保つことも大切。

でも、その存在であるがために、私たちは必要以上にフィルターをキツく絞り込んで見てしまう傾向があるようです。
「こうであるべきだ」と。

だから、ふと思い出して欲しい。
家族のなかでギクシャクしたり、お互いの思いが通じなかったりしたときには、少し、もう少しそのフィルターを緩めてみよう。広げてみよう。
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by exkokoro | 2011-02-09 11:03 | 家族 | Comments(0)

きょうだい順位の影響とは?

タイトル:きょうだい順位の影響とは?
担当:仁平 ゆみ子カウンセラー
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こんにちは。仁平ゆみ子です。
家族のコラム、今回は『きょうだい順位の影響とは?』です。

「兄弟姉妹順位」って実はその人の性格に意外に大きく影響しているのでは、と感じたりしませんか?

我が家には二人の息子がいますが、彼らが小学生時代のこと。
とても落ち着いておとなしめの学年は長男長女が多い、
やたら元気で先生がまとめるのに苦労するのが次男三男が多い学年でした。
たまたまかな・・・とも思いますが(笑)


あくまでも傾向ですが、
男でも女でも第一子は親も初めてのことなので慎重に子育てするせいでしょうか、保守的、勤勉。
長男は幼いころは頼りないようでも成長につれ、
自分のことは自分でなんとかすべきと頑張るタイプが多いようなきがします。
長女は幼いころからしっかり者、頑張り屋さんが多いですね。
親はついしっかりしてる長女に甘えてしまうなんてことも多いようです。


第二子で下に兄弟姉妹がいる中間子は、子供時代はなかなか日が当らない位置に。
それだからこそ親の注目を得るために問題行動おこしたりすることも。
成長するにしたがい親をあきらめ自立の道に行くのが早い傾向ありです。逞しくわが道を行く。


末っ子になると、親も対応が緩く甘くなってきます。
依存的になる場合もあれば、無駄な努力せず必要あれば援助を求めることができる
甘え上手な面があるのでは。


一人っ子は、深刻で厳しい(!)
きょうだい関係である対人関係の葛藤未経験のため依存的、自己中心的になる恐れもあるけれど、
一方では自立的で他者と一緒に生きていく努力をすることができる。


私のまわりでは、自立的で友好的な一人っ子が多いです。

以上はあくまでも傾向なので、「え?ちょっと違う」と言う人もいるでしょう。


我が家の長男は、小さいころから病弱で手がかかり、
いけないと思いつつ甘やかしてしまったように思います。

長男は、外で「え!弟いるの?絶対お姉ちゃんがいるでしょ。それか一人っ子!」と言われ、
次男は「お兄ちゃんがいるの?うそ!妹がいる感じ」と言われることが多い様子。
つまり甘ったれで甘え上手な長男と、しっかり者でやさしめの次男の兄弟。


そんな兄弟も22歳と17歳になってくると、様子が変化してきました。
ダメダメ兄ちゃんが、なぜかしっかり者に急変し、逞しいしっかり者かと思っていた弟が、停滞中。

子育ては、難しい。

言葉には出さぬが、ここにきて兄の急成長に脅威を感じ、自分に自信をなくしているように見える弟。


次男にも自信をもってもらいたい、と今になって夫婦であくせくしてしまう。
高校生の塾に夫婦で説明会に行ってしまった。

ゼミ形式の国語塾、
「なんて面白そうなんだろう、こんな塾に私も行きたかった!」とわくわくした私は、次男にこの塾をすすめる。
そっけないし、のらりくらりの次男の態度。
「ねぇやる気があるの?ないの?やったほうがいいよ」と責め寄る私。

その姿を見て、
「母さん、間違ってる。母さん自分のためにやってるでしょ!弟が自分でやろうと思わなければ意味がないよ。とくにその国語塾は。」(長男その塾体験済み)と長男。
「はぁ、そうだわ・・・たしかに。なんか焦ってる。自分の不安が強いことに気付いた。」と私。


長男がいないところで次男は言った。
「それにしてもさぁ、兄ちゃんのあの偉そうな上から目線の態度なんだよ。むかつく!なんで兄ちゃんに俺たち文句つけられなきゃなんないの?!」と次男。
「ほんと、だよねー。兄ちゃん偉そうだよね。まったくだ。」と私。(内心笑っている)


とんがってる兄弟に対して、母親としてはなんとも迫力がなくて情けない限りです。


「兄弟仲良くしなさい」なんて野暮なことだけは言いたくない。
とんがっていようが(今はむしろとんがっていたほうが)相手に関心を向けているのは悪くない。
今は、弟のほうが兄を意識して自分の価値を不安にしているところがあるなと感じています。
少し前は逆だったのに。


「きょうだい仲良くしなさい」と親に言われなくても勝手に仲良く波長が合う関係もあれば、
きょうだいは他人のはじまりともいいます。

べつに仲良しじゃなくていいのです。
対人関係におけるもっとも熾烈な葛藤があるきょうだいも、個人を鍛えてくれるのですから。


親であれば子供たちに平等に接するべきという願いをもってしまいます。
でも、それを期待し望み続けると現実的に満たされることが少ないと感じます。

そういう現実を知りつつも、
親子、きょうだい、夫婦は人として対等に生きたい、感じていたいと強く思うのです。


親としては、子供が自分の課題に取り組む援助をするけれど、
親が叱って子供に取り組ませたり、代わりにやってしまっては対等な関係にはなれないですね。

なかなか難しいですが、あきらめずにコツコツですね。
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by exkokoro | 2011-01-26 00:00 | 育児・教育 | Comments(0)

みんなの幸せは自分の幸せ


タイトル:みんなの幸せは自分の幸せ
担当:瀬尾 真一郎
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私たちはもしかすると自分の幸せは「自分だけ」の幸せだと
思っているのではないでしょうか。
自分の幸せは自分だけのもので、自分をたいせつにするということは「自分だけ」を大切にすることだと思ってしまっているのではないでしょうか。

しかし人間関係は、相互依存関係です。

だから自分だけを幸福にしようとしても
人間関係の中でしか幸福になることはできないのです。

周囲の人が不幸で自分だけが幸福なんて、本当の幸福と言えるでしょうか。

自分のことしか大切にできない人は、孤独になってしまい
その孤独が心をむしばんでいきます。

一方、幸せそうに見える人は必ず誰かと喜びを共にしているものです。
そういう人は、必ず他人を「幸せ」にしている人なのだと思います。

例えばどんなにすごいホームランを打っても、喜んでくれるファンや
チームメイトやあるいは家族がいなければ、うれしくないでしょう。

どんなに大金持ちになったとしても、孤独で信じる人が誰もいなければ幸せな人生だったといえるでしょうか。

幸せにはいろいろな形があるでしょうけど「この人を幸福にしたい」
という思いがあれば、どんな困難でも乗り越えていけるものです。

幸せにはいろいろな形があるでしょうけど「この人を幸福にしたい」
という人をしっかりもつことで、幸せをつかむことができるということは共通のことだと思います。

人は人の笑顔を見れば嬉しくなります。
やさしくされれば、癒されて安心できます。

人は人を幸せにすることを止める事はできないのだと思います。

だって誰かを幸せにしないことには自分が幸せになれないのですから。

それが人間の原点だと私は思っています。

お母さんは結婚する前、自分のためにお金を使い、
自分だけの幸せを追求してきたのかもしれません。
けれども子どもが出来た途端それが出来なくなった。

自分の人生を夫や子どもの為に犠牲にしていると
感じてしまうかもしれません

でも本当はそうではなく、子どもを幸せに育てることで
お母さん自身が幸せになれるのだと思います。

夫をたいせつにすることで夫からたいせつにされる。
夫は妻をたいせつにすることで妻からたいせつにされる。
親をいたわることで、子どもからもいたわられるのです。

こんなことがありました。
嫁さんから「今度の日曜は何か予定ある?」って聞かれたので
「特にないよ」って応えたのです。
すると嫁さんは「そう、じゃ実家に行くね」
って実家で親戚の子どもたちと遊ぶ計画を立てたんですね。

私は風邪で体調がすぐれなかったので本当は居てくれたら心強いのにと思っていたのですが、嫁さんの意思を尊重して
「いいけど。。。」って答えたんです。

でも、その思いを察した嫁さんは
「何? 一緒に居てほしいの?」と聞いてくれました。

体調の事を打ち明けると
「うーん、分かった、じゃあ家に居るわ」

嫁さんいわく、
「私もね。本当はあなたに居てほしいときがあるんよ」
「何も用事がなくってもね」
「でも、さっさとでかけてしまうからしょうがないなって思っていた」
「だから特別な用事がなければ自分も好きにしようと思ったんよ」
「本当はね、みんなで楽しく過ごしたいんだからね」
と言いました。

それを聞いて少なからず、ショックでした。
その思いに気付きませんでした。
一緒にいる時はいつも当然と思って、嫁さんに笑顔を向けることも
減っていたことに気付きました。

ひとりの時間を持つことはたいせつですが
夫婦関係を良好に保つことは子どもにとってもたいせつなことです。
そのために例えば、おしゃべりするとか、同じ作業を一緒にやってみるとか意識的にやってみると良いと思うんです。

あなたも夫婦関係を見つめなおしてみませんか。
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by exkokoro | 2011-01-19 17:03 | 家族 | Comments(0)

子どもへのまなざし


タイトル:子どもへのまなざし
担当:瀬尾 真一郎
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私には子どもが2人います。

10歳の娘と5歳の息子です。

私にとっても嫁さんにとってもかわいい大切な子ども達です。

親であれば誰でも自分の子どもが良い子であってほしいと願っていると思います。

私もそう願っています。

では、いい子とはどういう子どもでしょう。

ふつうに考えれば、親のいう事をよく聞き、面倒のかからない子どもを想像しますよね。

けれども私は、その年齢に相応した子どもらしさを持っている子どものほうがいい子だと思うんです。

例えば赤ちゃんがおむつを替えて欲しかったり
お腹はいっぱいだけども不安を感じたときに
すぐに泣いてお母さんを呼びつけて、親にたくさん
手をかけさせる赤ちゃんは、泣かない赤ちゃんより
順調に育っているのではないでしょうか。

そしてこのような赤ちゃんは生きるための知恵が付くのも早いです。

反対に成長するにつれ、親や周りの気持ちを先に読み取って周囲や親の喜びそうなことをするのに心を奪われすぎて親に手を焼かせないような子どもは、精神状態は決して良いとは言えないでしょう。

人の指図は守るけれど、自分で考えて行動する力が身に付かないのです。

子どもに接する時に、大切だと思うことを考えてみると、

ひとつは、待つという気持ちでいることだと思います。

「ゆっくり待っていてあげるから、心配しなくていいよ」
というメッセージが子どもに伝われば、必ず子どもは良い方向に育ちます。
だから必要な事をして、不必要な事をしなければ、みんないい子になって、個人差はあるけれど、その子なりの個性と能力を発揮していくんだと思います。

もうひとつは、子どものありのままを受け入れるということ。

人間というのは、どこかで全面的に受容される時期があればあるほど、安心して自立していけます

子どもが失敗して、しょげて帰ってきたときも、
「そうか、そうか」
と言って親の元で充電させてあげればよいのだと思います。
勉強が出来なければダメとか。
負けてはダメとか。
男の子だから、女の子だから
ということではなく
出来るだけ、条件の無い状態で、ありのままを見つめてあげる。

そうすれば、子ども安心してまた、外の世界に出て行けます。

「ゆっくりでいいよ」
「おまえを信頼しているからね」
という気持ちが子どもを育て、親自身も成長できるのだと思います。

そして子どもが失敗した時こそ親の出番なのではないでしょうか。
そのためにも、子どもには失敗するチャンスを与える事が大切なんです。

「親」という字のとおり、高い「木」の上に「立」って「見」続けていることが
親ということなのかもしれませんね。
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by exkokoro | 2010-12-01 10:49 | 育児・教育 | Comments(0)

親子でも夫婦でも自他境界線をひく



タイトル:親子でも夫婦でも自他境界線をひく
担当:仁平 ゆみ子カウンセラー
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こんにちは。仁平ゆみ子です。

今回のコラムは家族について。

さて家族ってどんなイメージ?
「あったかくて」「やさしくて」「守ってくれる」もの?


もし、あなたがそれだけのイメージと理想で家族を描いていたら
ちょっとキケンかもしれません。
家族はこうあるべき、こうあってほしい、という思いも大切にしながら、読んでいただけたら嬉しいです。


私の家族のイメージは、ちょっと過激ですが、「徹底的に個人を鍛える場」という感じ。

なんていうか、ひと家族がファミリー船に乗って航海しているのではなくて、
家族は生まれながらにひとりひとりが一艘のボートに乗っているイメージなんです。

たとえ子供であっても一艘のボートを幼いながら漕いでいる。
沈没しそうになっては、家族やいろんな人のボートに助けられる。

ボートは別だけどいつもお父さんお母さんにはくっついている感じ。
お母さんにはピタリとくっついて甘えたり面倒見てもらっている。
それが、思春期あたりから少し様子が変わってくる。

自分でちょっと遠くに行ってみたくなって、親を心配させる。
家族以外の仲間ができる。本気の恋をする。
親は、あれこれ注意したり心配でハラハラしているのに子供はどんどん遠くの海に冒険に出てしまう。
成長し大人になると、彼らはいよいよ家族を離れ大海に漕ぎ出す。
親からの自立。真っ暗な海は怖いけど大丈夫と思える。

一方では、遠くに行きたくない子も、母から離れたくない子もいる。
そんな子を心配して親たちが焦ってあれこれアドバイスしても、自ら漕ごうとはしない子もいる。
それが必要だからそうしている。
自分のボートがある限りいつか自分の意思で漕ぎ出す可能性に満ちている。


夫婦も死ぬまでずっと別々のボートに乗ってそれぞれの意思で漕いでいるイメージですねぇ。
別々のボートに乗っているけど、仲良くしたり愛し合ったりできます。
別々のボートだからこそ・・・!!これは重要なポイント!
人生の途中で、それぞれの進路に違いが出て別々の航路を選ぶこともできるわけです。
もちろんずっと一緒にいることもね。


以上が私の家族のイメージ。ちょっと変わってますか?

「あったかくて」「やさしくて」「守ってくれる」という裏のイメージは、
「息苦しい」「窒息」「支配される」なんてことがあるのですよね。



こんな風に思うようになったのは、二人の息子を育て鍛えられたことが大きいと感じます。
夫と結婚した当初も、すっかり夫の船に乗り込んだ気分でした。
私を守って!優しくして!って・・・いやいや、それは不自由だったんですよね。
あまり楽しくないし、疲れるし。クタクタ。


そこで覚えたことは、自他境界線を夫にも息子にもひくこと。
なんだか、家族なのに、線をひくなんて、みずくさい、冷たい感じありますか?

相手を突き放すとか関係ないと無視することではないんです。
それは相手のことを大切にすること。相手の課題に土足で踏み込まないこと。

息子が考えて、やるべき課題を、
心配だからと言って私が踏み込んでしまうことが日常でよくあったものです。
その都度、イエローカード、レッドカード出されました。
子供ってすごいですよ!! 親が子に育てられるって真実ですね。


長男が不登校気味だった4年間は、
私が堪え切れず彼の課題に土足で踏み込んでしまったことが何度もありました。

すさまじい反抗にあい、毎日親子でバトル、もう傷だらけで疲れ果てました。
高校生になったある日、学校から帰宅して「疲れた、もう駄目だ」とソファに倒れ込む長男をみて
≪またか・・疲れたばかりでいやだな≫と心で思ったのです。

そして、「そう、疲れたの~ それじゃ早く寝なさい」反射的に私が言ったところ、長男は答えました。
「寝るかどうかは自分で決める。母さんは そう、疲れたの~だけでいいからね」と
怒るでもふざけるでもなくサラッと。
もう参ったな~と感じでしたねぇ。


次男も小学生の時、怒る私に
「ママってさ、今僕のために怒ってるんじゃないよね。ママ自分のために怒ってるんでしょ!?」と。
何のことで怒っていたか忘れたけど、とにかく図星だなと思ってハッとしたものです。
ああ、鋭いなぁ、参ったなぁ。


そんな小さなことはしょっちゅう起きるので、さすがに自分の思いに向き合うことに興味を持ちました。
家族の誰かに言われた一言にカチンとくるとき、そんなときこそチャンスなんです。

なんで私カチンときたんだろう?って紙に箇条書きで書き出していきます。
そうすると自分がカチンとくるときの傾向がわかってきます。
その傾向がわかると、
そのカチンとした怒りの奥には「こうあるべき」という自分の物差しがあることに気付きます。



つまり自分の価値観というやつです。

その自分の物差し「こうあるべき」ってどこで刷り込まれたんだろう?って考えていくと、
子供の頃の辛い悔しい体験から来ていたりするんです。
身近な大事な大人から刷り込まれたことも多いです。

時間があるときは、その時のエピソードを再現して
紙に書いてその時の自分の感情と欲求を洞察していきます。

すると、この辺りから思ってもみない面白いことが発見されたりするんですよね。
これは、セルフカウンセリングといいます。

自己と他者の間に自他境界線をひくことが、とても大事なことなんです。
それは自分の気持ちを大事にすることであり、自分を知ることになるのです。
自分の内面を深く知ることは対人関係を楽にします。


それができてくると、自然に他者との心の交流が楽しくなってきます。
生きること、家族と交流することがとにかく面白い。

家族で個人を鍛えながら、心地よい関係になっていくことが、
のびのびと自分の人生を楽しめることなんじゃないかなっと今感じています。

自分の課題をしっかり自分でやることが楽しい。

それは他人からの評価に一喜一憂しなくなり落ち着いてきます。
家族一人一人がそんな風に自分の課題を、のびのびとやっているとしたら、
そこに支配や息苦しさを感じることはありえないのです。


皆さんも、自他境界線をだまされたと思って(!)ひいてみてくださいね。
大人になってからやるとこれが意外と難しい。

そんな時はカウンセラーを利用して、自分をみつめてみることが、
自然と自他境界線をひけることになるのです。
対人関係で悩みがたえない場合、やってみる価値が十分ありです!

最後まで読んで下さりありがとうございました。
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by exkokoro | 2010-10-20 00:00 | 家族 | Comments(0)

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