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カテゴリ:家族( 15 )

お姉ちゃんの心理


タイトル:お姉ちゃんの心理
担当:佐藤 文
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こんにちは、佐藤 文です。
今日は自分自身の経験でもある「お姉ちゃん」について書きます。
私は三人姉妹の長女です。
1歳下の真ん中の妹は小さい頃病気があり、入院や通院でとにかく母は妹にかかりきりでした。
一番下の妹は5歳離れていて、とても可愛がられていました。
真ん中の妹が入院していたときには、私が母親代わりでした。

母は、私の子どもの頃を
「手がかからなくてしっかりした子だった」
と言います。
果たして、本当の私はそうだったのでしょうか?



先日、友達のお姉ちゃんの子どもの頃の話を聞きました。
友達は双子で、当時小学2年生のお姉ちゃんが一人。
家では本当にいいこで、頼りになるお姉ちゃん。
でも、学校では…とても暴力的な女の子だったらしいのです。
ある日、担任の先生から電話がかかってきて、お母さんもびっくり。
全く知らないお姉ちゃんの顔でした。


この話しを聞いて、私は「良かったな~」と思いました。

お姉ちゃんにとって、家では「お母さんは双子のお世話で大変だから、迷惑かけちゃいけない」という思いが強く、自分の気持ちを抑えこんでいたのが、学校で爆発していたのではと思います。
爆発するところがあると、どこかで問題が起こります。
その問題が起こることによって、解決に向かうことも多いのです。


心配なのは逆に、家でも学校でも「いい子すぎる子」です。
何から何まで大人の言うとおり。
自分の気持ちを抑え込んだままでは、問題も起こらないし、
親も先生も「あの子はいい子ね」で終わってしまいます。
問題が起こらなければ、解決もしません。

そして、その後もずっと、自分の気持ちを抱え込んだまま、大人になります。


根底には
「いい子にしていないと、私は誰からも大切にされる価値がない」
と思い込み、

・嫌われるのが怖くて、目の前の人に気に入られるように振舞う
・自分の意見を強く言えない(言わない)
・自信を失くす
・自己嫌悪


悪循環に陥ってしまいます。


第1子が少し大きくなり、第2子ができると、上の子の「赤ちゃん返り」ということが起きます。
それまで独り占めしていたお母さんの愛情を、弟や妹に取られるということは、子どもにとって危機的状況です。
そこで、上手く甘えることができたり、どこかで発散させたりすればいいのですが、
子どもはお母さんのことをよく見ていて「お母さんに迷惑がかかることはやめよう」と、よかれと思って我慢していたことが、どんどん自分の首を絞めることになるのです。

だから、どこかで発散の場が必要です。

自分の気持ちをありのままに表現できる場所。
そして、その気持ちを受け止めてくれる場所。

それが信頼できるパートナーであったり、親友であったり、またカウンセラーでもあります。
私の中には溢れんばかりの「寂しい」という気持ちが渦巻いていました。
自分でも思った以上に貯めこんでいたようです。
私も本当に苦しい寂しい気持ちをたくさんの方に助けていただきました。

今でも落ち込んだときには、「嫌われるのが怖い」「とにかく寂しい」という思いが噴出することがありますが、受け止めてくれる場所があるので、素直に吐き出せます。
そして吐き出すと、解決策が見えてきて、心が落ち着いて、また前に進めます。


「自分の気持ちすらわからない…」
「どう表現していいかもわからない…」

そんなときでも、少しずつ自分の中にどんな気持ちがあるのか?
本当はどう思っていた(いる)のか?
掘り下げていきましょう。


見えない「本当の自分」が見えてくるかもしれません。
自分をまずクリアにして、問題を解決していきましょう。
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by exkokoro | 2011-05-23 13:11 | 家族 | Comments(0)

子育てのために、自分を犠牲にする?


タイトル:子育てのために、自分を犠牲にする?
担当:佐藤 文
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こんにちは、佐藤 文です。

私は今現在再婚していますが、去年まではシングルマザーでした。

子どもが1歳になる前に離婚し、「これからどう生きていくか?!」「確実に就職できる資格をとらなくちゃ!!」と思い、とにかく勉強して資格を取得をしました。

介護ヘルパー2級、医療事務、介護事務、簿記の勉強・・・


それらは「就職するため」の資格で、自分から「やりたい」と思ったことのない職業でした。
生きるのに必死で、「夢」とか「希望」とか「自分らしさ」とか、そんなものとはかけ離れていましたね。
確かに、子どもを抱えるシングルマザー、「あの仕事はいや、こんな仕事もいや!」なんてわがままは、言っていられません。
ですが、自分のやりたいことを犠牲にして頑張るのが「子どものため!」と思い込み、カウンセラープロフィールにある「ありのままに」なんて言葉も、全く以前の私には当てはまりませんでした。


以前の私の中には「何かをやりたければ、何かを犠牲にしなければならない」という鉄則があり、


それが、


「子どもを育てるためには、自分の好きなこと、やりたいことは全て犠牲にしなければならない」
と、無意識の方程式ができあがっていました。


もしかしたら、私と同じように思っている方も多いのではないでしょうか?
小さな子どもを、預けること=悪いこと。
小さな子どもを置いて、自分の好きなことをする=いけないこと。
周りの目(世間体)を気にしすぎて、思うように動けない…。


友達にも「子どものために、自分のことを諦めてるように見える」と言われたこともあります。
あのときは、意識していなかったので、グサっときたのを覚えています。



でも、それは、本当に本当に『子どものため』なのでしょうか??




もしも、自分の親に
「あんたのために、私は好きなことをずっと我慢してきたんだ!」
って言われたらどんな気持ちでしょう?

なんだか、いや~な気持ちになりますよね。
恩着せがましいというか…


「子どものため」と見せかけて、本当は…

「私は悪いお母さんじゃない!」「私はこんなに頑張っているから、いいお母さんなんだ!」

って、実はびっくり、「私のため」なんです。



確かに、子どもが小さいときには、シングルマザーでなくても、働くお母さんでも、専業主婦のお母さんでも「自分の趣味や好きなことに時間をとる」ということは難しいです。

でも、「子どもが幼稚園に入ったら、趣味を再開しよう♪」とか
小学校に入ってお留守番ができるようになれば、「好きな仕事をしよう」とか
そういうふうに考えるだけでもいいと思います。
ちょっとずつインターネットや本などで情報収集して準備しておけば、ばっちり☆

他にも、月に一回だけは、旦那さんや親に子どもを預けて、リフレッシュする日と決めて、周りの大人と相談してみるのもいいです。
喫茶店で一人の時間を満喫したり、ウインドウショッピングも私は好きです。
公共施設で託児つきの教室などもありますね。
ヨガやスポーツなどの身体を動かしてリフレッシュする方法もあれば、何かを作ることがストレス解消になったりもしますよね。


これらは、全然悪いことじゃないし、むしろ家でずっと子どもと二人きりでイライラしいているお母さんよりよっぽどいいですよ!


以前働いていた子育て支援施設(まだ幼稚園や保育園に行っていない子どもと親が来る場所)で実際に見たことですが、
お母さんがスタッフに子育ての悩みを相談したり、託児つきの講座に参加して、ほんの少しでもイライラから開放され、リラックスすると、自然と子どもに優しくなります。
そして、そのお母さんの優しい対応や声かけで、子どもの反応も全く違ってきます。
それが続いていくと、お母さんも変わってきますが、子どもの表情も劇的に変わります。
お母さんがずっとイライラして、なんだかいつもそわそわしていた子どもが、
お母さんがリラックスすることで、目が輝き、笑顔が多くなり、意欲的になるんです。
子どもはお母さんの気持ちを敏感に察知しているんですね。
そんな親子を今まで何組も見てきました。


本当の意味での『子どものため』に、自分自身も大切にしましょう!


好きなこと、やりたいことをやって生き生きしているお母さん、笑顔のお母さんは、子どもの太陽です♪

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by exkokoro | 2011-05-02 13:15 | 家族 | Comments(0)

親父の勲章


タイトル:親父の勲章
担当:長谷川 泰三
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かなり前の話しですが、当時おこなっていた無料電話カウンセリングに
こんな電話がかかってきました。

あの~え~っと 別に何でもないんですけど
(別に何でもなかったら、ここには電話してないハズ...)

「あの~ 仕事の問題って聞いてもらえるんですか?」

「ええ、どんな事でもお伺いしますよ。さてどんな問題なのでしょうか?」


その方は30代の男性で、3ヶ月前に仕事を辞めてから仕事に対して意欲的に向き合えなくなってしまったというお話しでした。

仕事を探さなきゃって思っとたんに吐き気がして、ときには本当に吐いてしまうこともあるのだということでした。


「すいません。こんな話しで... 情けないというか...」
 

彼は私に対して本当に申し訳なさそうに話すのでした。


「そんなに自分を責めてはダメですよ。何か郵便ポストが赤いのも俺のせいって感じですね(笑)」

「ははっ(笑)そうですね。最近、友人にも『お前ごめんなさい星人か!』って言われています」


最近の彼は誰に対しても『ごめんなさい、ごめんなさい』っていうので、友人から“ごめんなさい星人”とあだ名をつけられたそうです(笑)。

それからお互い45分間気楽な感じでいろいろな話しをして、彼は私を気に入ってくれたようです。


「長谷川さん、会ってお話しはできませんか?」

「面談カウンセリングをしたいということですか?」

「はいっ、ぜひ会ってお話しをしてみたいのですが...」


それから数日して彼は大阪のカウンセリングルームへやってきました。

彼は会ったとたんに引きつった笑顔で『すいません』といいました。


「どうしてあやまるのですか?」

「何か自分が悪いことをしているようで...」

「何か悪いことでもしているのですか?」

「イヤっ別に悪いことはしていないのですが、仕事をしていないってことがすごく悪いことをしているみたいで...」


彼は背広が似合うとても真面目そうな青年でした。


「3ヶ月前まではどんな仕事をされていたのですか?」

「はいっ、外資系の会社で営業をしていました」

「外資系の会社で営業ですか。忙しくはなかったですか?」

「それは... 口では言えないくらい忙しかったです。ちゃんと寝るヒマもなかったんです」


朝8時から夜中の11時まで、働いて、働いて、くたくたになって働いて... そんな数年間だったそうです。

彼はとても頑張り屋さんだったみたいで、会社からも認められてぜひ“リーダー”になってくれと言われた矢先に仕事に行けなくなってしまいました。


「会社を辞める前に、お休みをとったりはしましたか?」

「イヤっ、これ以上は迷惑はかけられないので辞めることにしたんです」


彼は以前、会社を無断欠勤したことがあるそうです。

その時も同じように仕事に行けず、その上家にも帰れない状態でどこに行くでもなく、街をウロウロしていたのだそうです。

3日間、会社を無断で休んだあとで会社に出向き「辞める」という彼を上司が引き止めてくれたのだということでした。

それから彼は一生懸命頑張り、会社の信頼も得て、さあ“リーダーに!”というところで今回の問題がおこったのです。


「以前も辞める、辞めないという問題をおこしていますので、今回はもう...」

「休むことは出来なかったんでしょうか?」

「サボる自分を許せないんです... 何か最低だって感じで...」

この罪悪感は普通ではないと思いました。

心の底で自分以外の誰かを責めているに違いない... 誰を責めているのだろう?


「今の彼方の状態って誰かに似ていませんか?」

「私の今の状態? 仕事に失敗して... 最悪って感じ... あ~っ、親父だ!」

「その親父さんのことを聞かせてもらえませんか?」

「え~っ、親父~ う~っ、あんまり考えたくない」
(そうか親父さんだったのか... キーワードは親父さんか...)


彼の親父さんは昔、仕事で大きな失敗をしたのだそうです。

惨めで、家族にも愛されずに最悪の親父... 

俺はリッパな男になるんだ! 成功するんだ!出世するんだ!「絶対に親父みたいになるもんか!」そう言い聞かせながら頑張ってきたのだそうです。


「お父さんが仕事に失敗されたのですか。そうだとしたら、貴方が大きな会社に就職したときお父さんは喜んでいたでしょう?」

「イヤっ、親父を裏切っているような感じがして..何かよけいに近寄りにくくなってしまって... 」


(そうか、親父みたいになるものか!って大企業に就職したとき、それが親父さんに対しての攻撃や裏切りみたいなものになってしまったんだな)。


「私は子供のころ親父に怒っていました。何でしっかりしてないんだよ~ 何でうちが貧乏なんだよ~ って思っていました」

「最近、その親父さんに似てきたって言われませんか?」

「よく言われます... 最悪ですが...」

「今の貴方だったら、親父さんの気持ちが分かるんじゃないですか?」

「・・・・・・・・」


私達はみんな子供ころに親に対して不満を持ちます。

まるでボクシングを観戦しながら“もっと頑張らんか~”“何やってんねん!”って言っているようなものです。

子供の頃の私達は“大人の世界”というリングを観客席から見ているだけでよかったのですが... 


「今、私がそのリングに上がっているんですね」


「そうです。その通り... もう親父さんと同じ世界に生きているんですよ。
だからなかなか思うようには出来ないってことが、今の貴方なら分かるハズですよ。やっと親父さんを理解できる年になったってことですか」


「たしかにそうかもしれません...」

彼にとって親父さんのようになってしまうのが人生最低で最悪のことだったのです。

それが彼の心の中でまるで“おばけ屋敷”のように恐怖の象徴になっていました。

(このおばけ屋敷をなんとかしないと...)


「少し親父さんのことを考えてみましょうか?」

「何だかイヤな感じがします。親父のことを考えると同じようになってしまいそうで」

「でも、親父さんを理解することで今の状況を抜けることができるとしたらどうでしょうか?」

「私もそんな感じがしてきました。親父を理解することが必要かもしれない...」

「では、イメージを使って親父さんを理解してみましょうか?」

「えっ、イメージを使うんですか? そんなことできるんですか?」

「出来ますよ。ここには親父さんはいませんから、貴方の記憶とイメージを使うんです」

「たしかに親父はここにはいませんもんね(笑)」

「では、軽く目を閉じて... 深呼吸をして...  リラックスして... 親父さんの若いころをイメージしてください。貴方が小さかったころの親父さんです。どんな親父さんが見えますか?」

「一生懸命働いてる親父が見えます... もうクタクタなのに.... 頑張ってる...」

「なぜそんなに一生懸命働いてるのでしょう?」

「わかりません。何故だろう?」

「イメージでその親父さんに『何故そんなに頑張るのですか』って聞いてみてください」

「・・・・・・・・」

「親父さんは何てこたえますか?」

「こっ、子供がいるんだ。あの子の為に頑張らなきゃいけないって...」

(彼は親父さんの愛を感じて泣いていました)

「親父さんにどんな息子になって欲しいですかって聞いてみてください」

「大きな会社に就職して、りっぱな男になって欲しいって言ってます」

「そうですか、貴方がりっぱになることは親父さんの夢だったんですね。だからイイ学校にも行かせてあげたくって一生懸命頑張ってるんだ」

「そうです。知っていました... イヤっ忘れていました」

「今の貴方がその若い親父さんを見て、何か言ってあげたいことってありますか?」

「あります! あります!」

「言ってあげてください」

「お父さんありがとう、お父さんありがとう、お父さんありがとう」


彼は親父さんに感謝という勲章をいっぱいあげたようです。

もう親父さんはおばけ屋敷ではなくなりました。

そして彼は今も大きな会社で働くべく頑張っていますが、それはもう親父さんを攻撃する為ではなく、 親父さんから夢のバトンをもらったイチロー選手のように晴れ晴れと仕事に向き合っています。

念願の彼女もできたそうです。

彼は親の心を理解して、本物の親になる準備をしはじめたようです。
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by exkokoro | 2011-04-13 18:20 | 家族 | Comments(0)

家族の絆


タイトル:家族の絆
担当:長谷川 泰三
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和男さん(仮名)は30代半ばの男性で、
中学生の女の子と小学生の男の子のお父さんでした。


「娘が全然いうことをきかなくて...」


彼は中学生の娘さんが最近、反抗的で親子ゲンカばかりしていまうということを話してくれました。


「つい“カーッ”となって手をあげてしまうこともあるんです。自分でも最低だなって思います」

「そんな自分を責めているんですね」

「・・・・・・」

「どんな時によくケンカしますか?」

「はい... 大体が夕飯の時なんです」


彼の家では夕飯に関して絶対の“決り事”があるらしいのです。

それを最近、娘さんが守らないのでケンカになってしまうということでした。


「それで、その“決り事”って何なのですか?」

「そっそれは、7時に皆そろって“頂きます”ってやることなんです。へっ変ですか?」

「ははっ(笑) すいません、ごめんなさい。イイじゃないですか、皆でそろって頂きますですか」

「もう、笑わないでくださいよ。笑われるからあんまり人には言いたくなかったんです」

「すいません(笑) でもあったかくて、のどかな感じがしてイイと思いますけど」

「それが、あんまりのどかでもないんです...」


子供が小さい頃はまだ よかったのですが、娘さんも最近は友達との付き合いがあったりして
7時には帰ってこないときがあるのだそうです。


「夕飯に皆そろわないと幸せが崩れてしまいそうで、どうしてもきつく叱ってしまうのです」

「どうしてそんなに皆そろうことにこだわるのですか?」

「それは...」


和男さんは子供のころ 施設に預けられていたそうです。

家族というものを知らない彼は、自分の家族というものを強く求めたということでした。

そして早くに結婚をし 子供をもうけ、自分の家族というものを手にしたのです。

しかし、和男さんはど のようにして子供と関わっていけばイイのかが分からなかったそうです。

そんなときにある出来事を思いだしました。昔、友人に夕飯に誘ってもらったそうです。

家族が皆そろってワイワイガヤガヤいろんな話しをしながらとても楽しい食事だったそうです。

こんなに楽しい食事は初めてだと思った和男さんは皆がとても幸せそうに見えたのだそうです。

「なるほど、それで7時に皆で頂きますですか」

「自分には経験がなかったもので... きっと家族というものは皆で楽しく夕飯食べながら...
これが幸せなんだって思ったんです」


家族の幸せというものがどんなものか知らなかった彼は、両親からもらえなかったモノの中に
“家族の幸せ”があるんだと思いました。

休日は家族と一緒... 皆で旅行に行ったり... 遊園地に出かけたり... 本当に彼は頑張りました。

仲のイイ家族、幸せな家族を作るために一所懸命頑張ったのです。

彼が両親からもらえなかったモノを子供達に与えてきたの です。


「子供達が喜ぶと思ってやっていたんですが、喜ぶどころか鬱陶しいって言われる始末です」

「毎週、毎週じゃ子供達も友達と遊ぶヒマがないんじゃないですか?」

「はい、そう言われます。ですから休日に一緒にどこかへ出かけるっていうのはひかえています。
でも夕飯は一緒に...」

「それだけは譲れないのですね(笑)」

「はい... そして子供達は離れていくばかりなのです」


昨日も7時の夕飯に遅 れた娘を叩いてしまって、奥さんからも下の息子さんからも白い目で見られ、
娘さんは泣いてるし、最悪で最低の“頂きます”だったそうです。


「家族がうまく行かないのも私が施設育ちだからでしょうか?」

「どうしてそう思うのですか?」

「同じ施設を出た仲間達も家族のことで悩んでいる人が多いもので...」

「なるほど、それは自分が親に傷付いた分、子供に対して完璧な親にならなくてはいけないって
思うからではないでしょうか?」

「確かにそんな感じがします」


和男さんも完璧な親に なるために頑張っています。

親からもらえなかっ たものを一所懸命子供に与えようとしています。

それはとてもイイことなのですが、ただその原動力が“親に対しての恨み”というものだったとしたら
うまくはいきません。

そうなると加減がきかないのです。

やり過ぎてしまうのです。

イイことをしながらも同時に誰かを攻撃している... 片手で花束を持ちながらもう片手のピストルで誰かを
打っているようなものです。

和男さんは誰かを許す必要があるみたいですね

「えっ? 許す? 誰をですか?」

「貴方に家族の幸せというものを教えてくれなかった人ですよ」

「それは両親ということですか?」

「はい、そうです」

「両親... 残念ながらあまりお話しすることはありません。一緒にいませんでしたから」

「そうですね、そして一緒にいてくれなかったことを怒っていませんか?」

「今はもう怒ってなんかいません!!」

「そう言いながらも今怒ってませんか?」

「・・・・・」

「貴方は家族の絆を作るために頑張ってきました。とてもイイことをたくさんしてきました。
でもそれがうまくいかないときは“それをやっている動機”を考えてみてください」

「それは親が私にしてくれなかったからです! 私はずっと寂しい思いをしてきました。
私はあんな親にはなりたくありません!」

「確かに貴方は正しいことをしています。でもそこに恨みはありませんか?」

「・・・・・・」

「せっかくイイことをしているのに、親への攻撃を目的にしていませんか?」

「そうです! それがいけないのですか!!」

「いけないことはありません。しかしそうなると貴方は親として“やらねばいけない”ことが多くなるでしょうね。
それも完璧に、もし出来なかったらあの親と同じになってしまうと思うでしょうから」

「そうです。無責任な自分の親と同じにならないように頑張ってきました」

「それは私も認めます。本当に頑張ってきましたよね。でもうまくいかない...」

「はい、一体どうしたらイイのでしょうか...」

「そうですね。動機と目的を変えましょう

「そうするとうまくいくのですか?」

「はい、イイこと正しいことをしていてうまくいかないときは動機や目的を変えるとうまくいくも のですよ。
どうですか、やってみますか?」

「はい、それで家族がうまくいくならやります。一体どうすればイイのですか?」

「ではやってみましょう。方法はまかせてもらえますか? まあ簡単に言うとイメージの力を借りるのです」

「イメージの力ですか.. 」

「はい、心の中でお父さんやお母さんに出会っていくんですよ」

「何かイヤな感じですが、それで家族とうまくいくのならやってみます」

「軽く目を閉じて、大きく深呼吸をして... リラックスして.... 子供のころを思い出してくだ さい。
一番寂しかった、辛かったときのことです。何才の貴方が見えますか?」

「8才のころの私です... 施設に預けられて、皆にとけ込めずに一人でいます」

「その子の気持ちが分かりますか?」

「不安... 寂しい... お父さん、お母さんが恋しい...」

「その子の親になったつもりでその子供を見てあげてください。貴方のお子さんを見るように
その子を見てあげてください」

「・・・・・・」


彼は涙を流していました。


「今どんな気持ちですか?」

「この子を助けてあげたい! 抱き締めてあげたい!」

それが、貴方のご両親の気持ちですよ。そんなふうに貴方をどこかから見ていたんですよ」

「知ってます... いやっ、知らないフリをしていました」

「貴方のご両親も貴方を愛したくて、抱き締めたくて、でもそれが出来なくて辛い思いをしていたんでは
ないですか?」

「はいっ....」

「両親を求めている子供、子供を抱き締めたい親... 離ればなれになってしまったこの親子を
イメージで一つにつなげてあげましょう。 ご両親も貴方を愛したかったのですよ」

「はい...」

「小さな頃、まだ貴方がご両親と一緒にいたころを思い出してください。どこに住んでいましたか? 
お家の周りの景色を憶えてますか? 子供のころによく遊んでいた場所にその子はいます」

「はい...」

「小さな男の子に近付いていってください。そして、『一緒にお家へ帰ろうね』って言ってあげてください」

「はい... 泣きながら私に抱き着いてきます」

「その子の手を引いて、お家へつれて帰ってあげましょう」

「嬉しそうにはしゃいでいます」

施設を出た後、両親から連絡があり「会いたい」と言われたことがあったそうです。

でも彼は“何を今さら”と断ってしまったそうです。

子供のころは仕方ない事情で両親が彼を遠ざけました、でも今は彼が両親を遠ざけています。


「その子はずっと一人だったんですよ。誰かが迎えに来てくれるのをずっと待っていたんですよ。
懐かしいお家の玄関を開けて、その子と一緒に『ただいま!』って言ってください。
お父さんとお母さんに聞こえるように大きな声で...」

「ただいま! お父ちゃん、お母ちゃん、今帰ってきたよ。ただいま!」

「お帰りなさい... そんな声が聞こえませんか?」

「はいっ、聞こえるような気がします。とても懐かしい声が聞こえます.. 」


その後、彼はずっと遠 ざけていた両親に会いに行きました。


彼の両親は事業で失敗し、彼を巻き込むことは出来ないと考え泣く泣く自分の子供を手放したのです。

そして、ずっと彼を遠くから見守っていたのだそうです。

彼の家では相変わらず の“皆そろって頂きます”をやっているらしいですが、 娘さんが遅れて帰ってきても
笑顔で「お帰り」って言えるようになったそうです。

今では7時でも、8時でも笑顔で“頂きます”ができる家族になりました。

彼の心の中ではもう“ 皆で頂きます”は両親を攻撃するものではなくなったのです。

本当はそれを両親も望んでいたのだと感じることができ、両親からのバトンを引き継ぐことができたのです
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by exkokoro | 2011-04-13 17:03 | 家族 | Comments(0)

頑張り方を変える



タイトル:頑張り方を変える
担当:仁平 ゆみ子 カウンセラー
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こんにちは。仁平ゆみ子です。

みなさんは、「頑張る」ということばを聞いてどんなことを連想しますか?

頑張る≒つらいことである?
頑張る≒楽しいことでもある?


①頑張ることはつらいことと思う人はうつになりやすい(落ち込みやすい)
頑張り方をして生きている人かもしれません。

②頑張るって結構大変だけどやりがいあるし楽しい、と思う人は
生きることは楽しいと感じていられる人でしょう。

この①と②の違いはいったいなんだろうか?と疑問がわきます。


いまどきは、頑張らないのがいいという風潮も。
頑張っているひとにあえて「頑張れ」とは言いづらいし、
うつ病のひとに「頑張れ」と言ってはいけないということが、今や常識となっています。


これはうつ病とがんばりすぎという意味においての関係性を表しているけれど、
うつ病の正確な理解ではないようです。

生きていくには、食べて眠って、そのために日々頑張らなくてはならない。
その頑張りがあって初めてその上に人生の楽しさも嬉しさも生まれてくるのです。
だから、問題は「頑張る」ことそのものにあるのではなく、「頑張り方」が問題になるのです。



①のように落ち込みやすい、うつになりやすい頑張り方というのは、
目的地に着くことだけを考えて歩く旅人のようなもの。
歩くことは手段であり日々の頑張りは単なる義務でしかない。
その目的地自体ぼんやりとしていて、自分が何を期待しているのかはっきりしていない。
実は自分が選んでいるわけでもなく、望んでいる目的地ではなかったりするのです。

②のような結構大変だけどやりがいあるし楽しいと感じる頑張り方というのは、
旅の目的地は自分で選んでいる場所で、何か楽しいことが待ち受けている感じ。
目的地に向かってただ歩くだけでなく、道行く景色やすれ違う人たちとの出会いを楽しむ旅。
これなら頑張ること自体が楽しい。


同じ「頑張る」でも①と②では「頑張り方」の違いが大きく、
それが生き方の違いになっていくのですね。


皆さんはどうですか?①と②両方経験しているよ、と言う方も、
①だけと言う方も、②だけだよ、と言う方もいらっしゃるでしょう。

今の私は②の頑張りかなぁと思うけれど、
「死にたい」くらい苦しかった時のことを思い出すと①の頑張り方をしていました。
それは必死に。


どうして①の頑張り方をしてしまうのだろうか?とまた疑問がわきます。
簡単に②ができれば苦労はないわけです。


どんな人にも必ず「こうあるべき」という生きていくうえで
最低限守りたい自分なりの規律というものがあります。


「人に迷惑をかけてはいけない」
「人との約束は守るべき」
「人から評価され褒められる人でなくてはいけない」
「仕事は100%完璧にこなすべき」
「体調万全で弱音ははくべきではない」
「人の役に立つ人でなくてはいけない」
「退屈な人嫌われる人になってはいけない」
「優しく人に接するべき」
「尊敬される人でなくてはいけない」

などなど、最低限といいながらたくさん規律がある人、
たった一つか二つの規律を必死に守る人と、いろいろあるわけですよね。


「もう、だめだ、自分の価値がない、生きていたくない」と考えてしまうのは、
自分なりの規律が守れなくなったとき、もう頑張れなくなったときです。



そんなとき「そこまで思いつめることもないじゃない?」
「もっと適当でいいじゃない」と人に言われても、
そう簡単に自分の生き方の規律を取り外すことはできなんです。


ずっと子供のころから家族の中で、
集団の中で知らず知らずのあいだに刷り込まれてきた自分なりの規律。
その規律とは実は、人とのつながりを保つために作り上げてきたもの。

自分が「ここ」にいてもいい、自分が生きることを許されているような、
自己肯定感と安心感を作り出している大事なもの。


その規律を保とうとして頑張り、それが守れないと感じた時
死んでしまいたいと思うくらい辛い。

そして、自分の規律が守れなかったとき人は自分を責める。


「どうしてできないんだ!」「なんで間違えたんだ!」
「最低だ!」「自分を許せない!」「自分はダメだ!」
「もっと頑張れない自分が悪い!」「だらしない!」
と自分で自分を攻撃する。


この怒りは健康な精神を破壊し、楽しみと生きる意欲を破壊します。

自分を責めることがどれほど辛く苦しいことか。
人が体験する精神的苦痛の中で最も大きいものかもしれません。

自分に向けられる怒りは、健康を営むための大切な「睡眠」と「食欲」へも向い、
それらも破壊していくのです。



もし家族がこの状態になっていたら、
自分から動くことは不可能なので病院に連れていく必要があります。
睡眠と食欲がなくなり、身体が動かなくなる状態までになると薬で治すしかありません。
でも、「頑張り方を変える」のは薬では治らないのです。


頑張り方を変えたり、自分を責めなくても生きていけるようになるにはどうしたらいいのでしょうか?


「とにかく頑張る人」の頑張る元には「不安」が潜んでいるわけです。
「恐れ」と言ってもいいかもしれないですね。
自分の規律を守らなくては大変なことになるという「恐れ」が。

だから、まず自分の規律はなんだろうかとじっくり考えてみる。

そして、自分の気持ちをあるがままに認めていくことが、生き方を変えていく基礎になります。
毎日感じるその時々の気持ちを一つ一つ表現していくことが具体的な方法です。


感情が苦しくなった今日の場面を思い浮かべて
〈疲れた、もう駄目だ〉
〈すこしずつゆっくりならできるかも〉
〈でも頑張れなかったらどうしよう〉
〈でもなにかやってみよう、しっかりしなくては〉
〈こんなことでいいのか不安になっちゃう〉


などと頑張る気持ちも挫ける気持ちそのまま表現できるようになると
心の緊張が解き放され、癒されていくことでしょう。
緊張がゆるんでくると自然に落ち着いてきます。

〈私またムキになってるわ、今頑張ってるよ、やれやれ〉
なんて思えたらいい調子。


自分の頑張りの底、原点が見えてくると頑張り方が変わってくるでしょう。


①の頑張り方がマイナスで②の頑張り方がプラスなのだからといって焦って
①→②に置き換えようとするのは難しいかもしれません。
なぜ自分が①の頑張り方をしたのかな、と考えると
それなりに深い事情があるはずでそれを理解することが何より大事です。
①である自分をとことん理解して受け入れることができると、自然に頑張り方も修正されていきます。


自分が小さいころから作り上げてきた頑張り方、生き方には深い人生の意味が込められています。
簡単には変わらない。
でも、変わらないことに気づけば、変わる。
そこには自己受容と自己理解があるからです。



自分が抱えてきた辛い生き方、その特徴に気づくこと。
その生き方を取り入れた理由をみつけること。
それを背負ってきた自分を愛おしく思うこと。


以上を心にとめながら、「とりあえず」やってみることが
あなたの可能性をより深く輝かせることになると信じています。
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by exkokoro | 2011-03-31 00:00 | 家族 | Comments(0)

こころが折れそうなとき


タイトル:こころが折れそうなとき
担当:仁平 ゆみ子
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こんにちは。仁平ゆみ子です。

ちょっと凹んでしまう、モヤモヤっと落ち込んでしまう
こんなことはよくあるけれど、

「私っていったいなにやってんだろう・・・」
「もう自分の価値なんてない気がする」
「みじめすぎて・・・堪え切れない」

対人関係のなかで確実に傷つき、強い自己評価不安に
襲われる時、自分の中の大事なものがこわれていく感じ。
そんな、こころが折れそうなときっていうものが
それなりに、ながく生きているとあるもんですよね。

こういうときって、もうどうしようもないくらい
自分自身の気力がなくなっていくのを感じます。

とりあえず行かなきゃいけないところには通うし
やらなきゃならないことはやるけれど、
からだのなかは、エネルギーがきれてからっぽになっていく
あたまのなかは、苦しみの堂々巡り、
もう、こころが折れそう。

いつもは気心知れた友人たちとおしゃべりして発散する
タイプでも、こういう時はだれにも何にも話したくない。
話す気力がない。
説明するのも面倒くさい。

「それは考えすぎだよ」とか
「気にしすぎだよ」とか
「にひらさんが、そんなことで悩むなんて意外」なんて
いわれると、がっくりきちゃうから、できれば言いたくない。

ひとから見るとちっぽけに見えることでも
自分にとっては深くデリケートな問題で悩むとき
もうわたしも、ここまでか・・・
このまま人間として成長が止まっちゃうような、
退化しちゃうような恐怖と不安。
そんな気分にも襲われつつ、重たい無気力とが交互にくる。

私も3年前の今ごろ、父の死がきっかけで親戚ともめて
数か月にわたり辛い時期を過ごした経験があります。

「親の死で親戚ともめるってよくあるよね」とか
「そんな親戚の言うこと気にする必要ないよ」とか
言われても、
言われれば言われるほど、
無気力状態から抜けられませんでした。

「私って案外弱いんだな・・・(よわすぎ?)
こんなことでだめになるのか。なにやってんだろう。
今まで頑張ってやってきてばかみたい。なさけない。」
「でも、このもんだいは私のルーツにかかわること」
と思っても、私が思い悩むように話を聴いてくれる人って
いないもんだ、と落胆して、またひとりで沈む繰り返し。

カウンセリングにいけばよかったのに。
いやいや、このときはとてもそれもできなくて。
とにかく気力がないって、どうしようもないんです。

夫はさりげなく気遣ってくれたのがうれしかった。
でも、夫は夫でそこに存在してくれているだけでいいんです。
そこに温かくいてくれるだけで、どれほどすくわれたか。
こどもたちも、そう。涙が出るのはそういうときだけ。

このとき、病院に通う代わりに、高いお薬買ったと思って
エステというものに初めて通ってみました。
これが、意外にも効果があって、世の中っていろんな救いが
あるもんだとちょっと感動したものです。

薄暗い部屋でヒーリング音楽をききながら、ウトウト。
夜も悪い夢ばかり見ていたから、睡眠不足だった。
ていねいに、ていねいに優しく顔をマッサージされていく
うちに、わたしのからだに気力がはいってきたのを
すこしづつ感じました。

こうして、数カ月たってようやく、話ができるように。
人のこころって、回復するのに時間がかかるけれど
元気になると、まえよりこころの根が太く強くなっている
ような気がする。
にんげんってすごいな。そんなふうに心底感じました。

もし家族のだれかが、こころが折れそうになったら、
その家族はどうすればいいのか。
そこにちゃんといてくれさえすればいい。
そこに、ちゃんと、生きていてくれさえすればいい。

たとえ一日数分であろうとも、本気でこころとからだを
彼(彼女)にむけていれば、きっとそのひとの温かい気が
弱っている彼(彼女)はいりこんでいくはずだから。

家族って、いっしょにくらすたいせつなひと。
いつかきっとわかれがくることが、わかっているから、
今を大切にたいせつに、いとおしむ。
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by exkokoro | 2011-02-23 10:43 | 家族 | Comments(0)

家族間のコミュニケーションは、人間関係のリハーサルでもある



タイトル:家族間のコミュニケーションは、人間関係のリハーサルでもある
担当:長谷川 さとみカウンセラー
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みなさん、こんにちは。
カウンセラーの長谷川さとみです。


このタイトルの言葉は、『アサーティブ・コミュニケーション』
という本の中にあったものです。

『アサーティブ・コミュニケーション』の説明をしますと、
まず、心理学を学ぶにあたって『アサーション』という技法があります。
【より良い人間関係を築くための、自分も相手も大切にした自己表現法】のことです。

この『アサーション』を行動に移して、
【自分も相手も尊重し、より良い人間関係をつくる自己主張スキル】とて身につけたいものが
『アサーティブ・コミュニケーション』なのです。


自分も相手も尊重し、より良い人間関係をつくるために
自己主張するって・・・???

ちょっと理解できなかった私ですが、
今では自分にとって必要なことだと実感しています。

なぜなら、わたしのやっていることは
いつも『アサーティブ』とは程遠いものだったからです。



私のいつもの行動パターンは、
・相手を優先するあまり、自分はいつも後回し。
・自己主張をしないから、自分の気持ちは伝わらない。

そして、「言いたいことが言えない」「どうせ言っても無理、だから言わない」
と、諦めてしまう私の思考パターンでもあります。


でも、こんな風に思ってしまうのは私だけでなく、
私の母や娘も同じように考えてしまうようです。


親に対して自分の主張を通すこと、
また、親の主張を拒否するのって難しいと思います。

それは、家族という文化の中で築かれてきた、
独特な力関係が影響しているからなのです。



子どもをいつまでも自分の所有物だと勘違いしてあれこれ指図し、自由を奪ってしまうと
「どうせ拒否してもダメなんでしょー」と、
子どもは諦めて自分の主張などしなくなります。


これが家庭の外での人間関係でも繰り返してしまうのです。

・自分の意見は言わず、諦めてしまう。
・言いたいことを【言わない】という習慣ができている。
・自分の考えや思いをどう伝えていいのか分からない。
こんな風に人とコミュニケーションを取ることが苦手だと感じてしまうのですね。


これでは、人生のいろんな場面でしんどくなるでしょう。
友人関係、恋愛関係、夫婦関係、職場での関係・・・

例えば、
・とても頑固一徹の父親の下に育ったとして、
            ↓
 自分の意見は通してもらえなかった。だから「どうせ言っても無理なんだ・・・」と
 話をする気も無くなるような家庭。

・職場にも同じように頑固な上司がいたら、
            ↓
 自分の意見は聞いてもらえず、
 「もう、言っても無駄だな・・・」と諦めてしまい仕事にも支障が出ます。



【家族間でなされる会話は、家族の外の人間関係のリハーサルでもある。】のです。

家族の中で自由に会話ができる雰囲気があれば、
家族外の人間に対しても、同じような態度がとれるのではないでしょうか。

家族の中でも、お互いが自立した人間であるためにそれぞれを尊重したいですね。

そして、家族間が人間関係のリハーサルをできるような
コミュニケーションをとれる場でありたいと思います。
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by exkokoro | 2011-02-16 00:00 | 家族 | Comments(0)

家族の距離


タイトル:家族の距離
担当:松本 綾子
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私の母は、私が小さい頃から何度か入院&手術を繰り返し、最後に入院したのは確か…、私がすでに社会人になっていた頃。

手術の数日前、田舎の祖母(母の母親)と電話でしゃべっていると、おもむろに「あの子のこと、よろしくお願いします」と言われました。

正直、とても動揺し、ショックでした。

母の入院で不安な私は、祖母に甘える気満々!
「この不安を受け止めて!」な勢いで話をしている訳です。
なのに、甘えの対象であるはずの祖母が私に「娘をよろしくお願いします」と、なんだか大きな頼みごとを
してきたのです。

祖母の態度が他人行儀で、距離が急に遠くなったような寂しさを感じたのと同時に、おかしな話ですが、そこで初めて「ばあちゃんは、母さんのお母さんやったんや」ということに気づきました。

それまで私は「祖母=私のおばあちゃん」「母親=私のお母さん」という側面でしか見てませんでした。

例えば母の場合。
もちろん父の妻であることも、姉の母親であることも認識はしていたのですが、私にとって大前提は「私の母親であること」。

「母親なのにこんなこともしてくれない!」
「母親のくせに間違ったことを言っている!!」
「母親なのに私を信じてくれない!!!」
母親はこうであるべきだという私独自の(しかもかなり基準は厳しい)フィルターを通して判断。
ビシバシたたき斬ってきました。

あれれ・・・
そういえばこれは、母親がよく言ったセリフと同じ。
「子供なのに親に反抗して」
「子供のくせに偉そうな口聞いて」
「子供なのに…」

言われる度に「ムキィ~(怒)!!!」とくってかかり、「そうじゃないのに!」と叫び狂いたくなるほど窮屈で、縛られているような息苦しさを感じていた。

完璧な人間なんていないのに、私は母にいつも「完璧な母親であれ」ということを押しつけていたんだな~。
それがどんなに窮屈で苦しいことか知っているくせに。

そのことに気づいてからは、ドンパチぶつかることはあっても努めて意識して、押しつけることを避けるようにしてきた。
フィルターの絞りをグワッとゆるめてみたり、違う方向から観察してみたり。

見えてきたのは、決して完璧ではない母。
抜け抜けで、変なところで気をつかったり、意外とクヨクヨしてたり・・・。
私とおんなじ。なんだ、なかなか愛苦しい。

いつの間にか「母親は完璧でなくていい」自分の中でそんな許可がおりていました。
そして私はもうかなり大人だけど、いくつになろうと母親にとっては子供なんだ。

父として母として・夫として妻として・子供として・祖父母として・・・
家族の中で、それぞれの存在であること、その距離を保つことも大切。

でも、その存在であるがために、私たちは必要以上にフィルターをキツく絞り込んで見てしまう傾向があるようです。
「こうであるべきだ」と。

だから、ふと思い出して欲しい。
家族のなかでギクシャクしたり、お互いの思いが通じなかったりしたときには、少し、もう少しそのフィルターを緩めてみよう。広げてみよう。
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by exkokoro | 2011-02-09 11:03 | 家族 | Comments(0)

みんなの幸せは自分の幸せ


タイトル:みんなの幸せは自分の幸せ
担当:瀬尾 真一郎
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私たちはもしかすると自分の幸せは「自分だけ」の幸せだと
思っているのではないでしょうか。
自分の幸せは自分だけのもので、自分をたいせつにするということは「自分だけ」を大切にすることだと思ってしまっているのではないでしょうか。

しかし人間関係は、相互依存関係です。

だから自分だけを幸福にしようとしても
人間関係の中でしか幸福になることはできないのです。

周囲の人が不幸で自分だけが幸福なんて、本当の幸福と言えるでしょうか。

自分のことしか大切にできない人は、孤独になってしまい
その孤独が心をむしばんでいきます。

一方、幸せそうに見える人は必ず誰かと喜びを共にしているものです。
そういう人は、必ず他人を「幸せ」にしている人なのだと思います。

例えばどんなにすごいホームランを打っても、喜んでくれるファンや
チームメイトやあるいは家族がいなければ、うれしくないでしょう。

どんなに大金持ちになったとしても、孤独で信じる人が誰もいなければ幸せな人生だったといえるでしょうか。

幸せにはいろいろな形があるでしょうけど「この人を幸福にしたい」
という思いがあれば、どんな困難でも乗り越えていけるものです。

幸せにはいろいろな形があるでしょうけど「この人を幸福にしたい」
という人をしっかりもつことで、幸せをつかむことができるということは共通のことだと思います。

人は人の笑顔を見れば嬉しくなります。
やさしくされれば、癒されて安心できます。

人は人を幸せにすることを止める事はできないのだと思います。

だって誰かを幸せにしないことには自分が幸せになれないのですから。

それが人間の原点だと私は思っています。

お母さんは結婚する前、自分のためにお金を使い、
自分だけの幸せを追求してきたのかもしれません。
けれども子どもが出来た途端それが出来なくなった。

自分の人生を夫や子どもの為に犠牲にしていると
感じてしまうかもしれません

でも本当はそうではなく、子どもを幸せに育てることで
お母さん自身が幸せになれるのだと思います。

夫をたいせつにすることで夫からたいせつにされる。
夫は妻をたいせつにすることで妻からたいせつにされる。
親をいたわることで、子どもからもいたわられるのです。

こんなことがありました。
嫁さんから「今度の日曜は何か予定ある?」って聞かれたので
「特にないよ」って応えたのです。
すると嫁さんは「そう、じゃ実家に行くね」
って実家で親戚の子どもたちと遊ぶ計画を立てたんですね。

私は風邪で体調がすぐれなかったので本当は居てくれたら心強いのにと思っていたのですが、嫁さんの意思を尊重して
「いいけど。。。」って答えたんです。

でも、その思いを察した嫁さんは
「何? 一緒に居てほしいの?」と聞いてくれました。

体調の事を打ち明けると
「うーん、分かった、じゃあ家に居るわ」

嫁さんいわく、
「私もね。本当はあなたに居てほしいときがあるんよ」
「何も用事がなくってもね」
「でも、さっさとでかけてしまうからしょうがないなって思っていた」
「だから特別な用事がなければ自分も好きにしようと思ったんよ」
「本当はね、みんなで楽しく過ごしたいんだからね」
と言いました。

それを聞いて少なからず、ショックでした。
その思いに気付きませんでした。
一緒にいる時はいつも当然と思って、嫁さんに笑顔を向けることも
減っていたことに気付きました。

ひとりの時間を持つことはたいせつですが
夫婦関係を良好に保つことは子どもにとってもたいせつなことです。
そのために例えば、おしゃべりするとか、同じ作業を一緒にやってみるとか意識的にやってみると良いと思うんです。

あなたも夫婦関係を見つめなおしてみませんか。
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by exkokoro | 2011-01-19 17:03 | 家族 | Comments(0)

親子の連鎖に気が付いたとき


タイトル:親子の連鎖に気が付いたとき
担当:長谷川 さとみ
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新しい年がスタートしましたが、
皆さんはどのように新年を迎えられたのでしょうか。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。


この年末年始に改めて感じたことを書いてみます。

人とコミュニケーションを上手く取れない、というお話の中で
「それはきっと子どものときに、
親からこんな扱いを受けたせいなのかも…」

と、仰る方がよくおられます。

「こんな扱い」とは、押し付けのような過保護だったり
かまってもらえないという放棄だったりするのです。

こんな風に、自分の過去をさかのぼって考えてみると
どのような子ども時代を過ごしてきたのか、
どんな育てられ方だったのかを否が応でも知ることになります。

また、今はそんな自分が親になって
子に対してやっていることにも目を向けますね。

私も最近はこれらのことをよく考えるようになりました。
そしてつくづく、
人間を育てることがいかに大切かを思い知らされました。


無意識で親から受けたことを子に対してもやっている事実。
当たり前ですよね。
それが自分の中の常識なのですから。

こんな年になった私でさえ、
母親から言われることに従おうとしています。

でも、最近は意識して考えるようになりました。
それに従うのか、従わないのか。
選ぶことが自由にできる大人になったことを…


昨年の暮れ、長女が言いました。
私が言ったことに対して、
「まあ、それをするかどうかは自分で決めるけどな…」と。

思わず、「そう、そう。そうやな…」
そんな風に言うようになったんだと
驚きながらもよかった、と思いました。

彼女が自分で選ばないと、
私はまたいつもの押しつけをしてしまうかもしれない。

子の成長は親の成長へと繋がります。


今度は次女の場合。
まだ親の言う通りにしないといけないと感じているようです。

親の言うことに従ってきたので、
自分の意思を伝えることをしてこなかった。
言いたいことがあっても上手く表現できず、
納得できないイライラが顔や態度にまで出ています。

それを見ていて親の方までもがおもしろくない感情になります。
お互い言わなければ気持ちが通い合わないと
分かっているのに、そのままにして蓋をしてしまいます。

今まではこんなことの繰り返しでした。
その時の気持ちの悪い感情には蓋をしたままでした。

でも、考えてみました。
そういえば、自分も親とはネガティブな感情ほど
言い合ってこなかったな・・・
ということに気がつきました。

うやむやのまま通り過ぎてきてしまいました。
だから、今でもそのままです。

あの時嫌だったな…
その時、こう言っていれば…

心の底の方に残ったままの感情があることに
気がつきました。

この年末年始に私も実家で母親と過ごしました。
やはり、人とコミュニケーションを上手く取れない
ことがあるという母親の話をよく聞きます。

「思ってることを伝えないからやん。」
と言う私の意見はどうやら聞き入れてもらえません。

「言ってもめごとが起こるくらいなら、
言わない方がいい。」という考えのようでした。

「それで納得ならいいけど、しんどいんじゃないの?」
と、聞き返しても考えたくない様子の母親。

この程度の話は何度かしてきたのですが
今まで、娘である私からこんな話をされたことが
なかった母親にしてみれば、困惑してしまうのでしょう。

なかなか受け入れてもらえない状態です。
ですが、考えるか考えないかを決めるのも母親次第なので
付かず離れず見ていこうと、私は決めました。


話は次女に戻ります。
自分が子どもに押し付けのようなことを
いっぱいしてきたかもしれないと謝りました。

その上で、これからは自分で考えて選んでいいことを伝えました。
でも、言いたいことが上手く言葉に出来ない娘です。

「やればいいんやろ。」と投げやりに言います。
「いや、違う。やるかやらんかアンタが決めていいねんで。」
こう言っても、困惑しています。

無理もありません。今までやったことがないのですから。
というか、私がやらせてあげなかったのですから。

「お母さんが言ったことに対して、
自分の意見と合わないことがあるときは
それを言ってくれないと分からないから、
それでいいと思ってしまう。」

「自分で考えてアンタが選んでいいねんで。」
私も子どものときに、
親から言われたことは無かったのでは、と思います。

でもだからこそ、今は言います。
もっと早く言ってあげればよかったと反省しつつ
これからは違う道を選ぼうと決めた私です。

まずは、自分が違う道を進みたいと思っています。
子どもらがそれをどう受け止めるかは
今は分かりませんが・・・


昨日、「はじめてのおつかい」という
TV番組を次女と二人で見ました。

小さい子が好きな次女は、
そのかわいさに笑みがこぼれていました。

私はその小さな子ども達に対応するお母さんやお父さんの姿に、
自分はしてもらえなかったと感じることや
親になった自分が子にしていなかったことを
改めて思い巡らして、涙がこぼれました。


そして、「これからでも出来ることをやっていこう」
と、年頭の目標にしてみました。

今、親子間でしんどさを感じている人は
十代の君でも、ベテランの親であるあなたでも
『人生は自分で選択していい』
と、考えてみることも出来るのではないでしょうか。
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by exkokoro | 2011-01-12 15:01 | 家族 | Comments(0)

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