幸せの法則
タイトル:幸せの法則
担当:月乃 桂
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欲深い人と感謝が出来ない人は、幸せ者にはなれない。
昔、お爺ちゃんが何度も何度も私に語り伝えてくれた言葉を紹介します。
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人間は“ありがたい。嬉しい。楽しい。気持ちいい。”など、日常に転がっている感情を改めて心に思い浮かべることで幸せを感じる。
でも、欲深い人はね。
どんなに幸せなことが目の前で起こっても、欲しかった物を手に入れても・・・“もっと幸せなことは?もっと欲しいものがある!”など感謝しそびれて、満足だ!と気付けないから、幸せを感じとれないんだよ。
どんな些細なことでも自分で満足し幸せを感じとれる人は、どんどん幸せ者になるんだよ。
でなけりゃ、大きな幸せがきても“この程度かぁ、がっかり。”と幸せを逃がすバカ者だ。
幸せ者になりたいなら、すべてのモノに敬意と感謝を払える人になりなさい!!! けして欲深い人にはなってくれるな。
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小さい時から聞かされていた このお爺ちゃんの話。
私が話を思い出したのは、怪我をして入院していた時でした。
私は、数年前、腰の骨を何本か圧迫骨折して寝たきりで、「下半身が動かない障害がのこるかもしれませんよ。これは、若年性の骨粗鬆症ですね。」と医者から言われたことがありました。
その頃の私は自分では寝返りも打てず、トイレもお風呂も睡眠も食事も何もかもできないまま4カ月が経ち、イライラして苦しくて、情けない気持ちでいっぱいでした。
私は不幸だ! ついてない人生。 なのに、なんでもっと大事にしてくれないの?
まったく思い通りにならない。きっと 愛されてないのだ。
そんな気持ちに支配された私の心は手当たり次第、趣くままに家族や友人にまで八つ当たりしていました。
そんな時、お見舞いに来てくれたお爺ちゃんの顔を見てコノ話を思い出したのです。
そして何時間も何時間も真っ白な天井を見つめ、自分は欲深くなってないだろうか?感謝できているだろうか? と来る日も来る日も考えました。
痛みと悔しさと八つ当たり、そのくり返しの毎日を送りながらも、必死にお爺ちゃんの話に縋りつく様に考え続けました。
すると、もっと甘えたいって思って足らないものばかり求め、人のせいにして生きてきた自分がソコに居るのに気がつきました。
気付いたのにもかかわらず、そんな思いは認めたくない。と思いを消し去ろうとして意固地になる私に、一生懸命寄り添っていつも変らない介護という形で愛を注いでくれる家族や友人を見ていたら、突然泣けてきた。
あぁ~。薄々気づいてはいたけど・・・自分ってなんてワガママな女だろうと愕然。
というよりも、茫然。
ワガママで迷惑ばかりかけて生きてきた私に対して、家族はなんて広い心をもち優しくて、愛情深いんだろう。 こんな家族と友人を持っているなんて世界一幸せなんじゃないか。
と感謝の念が自然と浮かび始めた。
天井を見つめ、欲深い私を見つめ、愛情を噛みしめてみること数週間。
今感じている苦しみは、私が愛されているってことを実感する為に起こった大切な学びなんじゃないのか? と考えが浮かび始めたころには・・・
どんなに意識しても改善できなかった八つ当たりは消えてなくなり、態度が自然と改められ、なぜか不思議と毎日は感謝で満たされるようになって、そのうち 毎日の生活で喜びすら感じるようになったのです。
気がつけば下半身の痺れはなくなり、自分で寝返りが打てるようになり、睡眠がとれるようになり、それから一年後には、杖をついて歩けるようにまで回復しました。
そして驚くことに 今ではスッカリ元気です。
元気になってからはドンドン時間が経ち、お爺ちゃんは90歳を楽々と超えた。
毎日お日様にあたり、“あったかいなぁ。ありがたい”と一人で呟いては、ニヘラ~と私に笑いかける元気なお爺ちゃんを見ると、幸せを感じずにはいられません。
そんな粋で幸せなお爺ちゃんの自慢の法則。
もしかしたら私じゃない誰かも、この話で救われるかもしれないと思い・・コラムにしてみました。
例え、色んなものが与えられていても気付くことが出来なければ、本物の幸せ者にはなれないのかもしれませんね。
これからは、私と一緒に“幸せ”掴みとって感じて生きていきましょう♪
拙い文章を最後まで読んでくださって本当にありがとうございます。
by exkokoro | 2009-12-19 11:21 | 生活・生き方 | Comments(0)