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頑張り方を変える



タイトル:頑張り方を変える
担当:仁平 ゆみ子 カウンセラー
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こんにちは。仁平ゆみ子です。

みなさんは、「頑張る」ということばを聞いてどんなことを連想しますか?

頑張る≒つらいことである?
頑張る≒楽しいことでもある?


①頑張ることはつらいことと思う人はうつになりやすい(落ち込みやすい)
頑張り方をして生きている人かもしれません。

②頑張るって結構大変だけどやりがいあるし楽しい、と思う人は
生きることは楽しいと感じていられる人でしょう。

この①と②の違いはいったいなんだろうか?と疑問がわきます。


いまどきは、頑張らないのがいいという風潮も。
頑張っているひとにあえて「頑張れ」とは言いづらいし、
うつ病のひとに「頑張れ」と言ってはいけないということが、今や常識となっています。


これはうつ病とがんばりすぎという意味においての関係性を表しているけれど、
うつ病の正確な理解ではないようです。

生きていくには、食べて眠って、そのために日々頑張らなくてはならない。
その頑張りがあって初めてその上に人生の楽しさも嬉しさも生まれてくるのです。
だから、問題は「頑張る」ことそのものにあるのではなく、「頑張り方」が問題になるのです。



①のように落ち込みやすい、うつになりやすい頑張り方というのは、
目的地に着くことだけを考えて歩く旅人のようなもの。
歩くことは手段であり日々の頑張りは単なる義務でしかない。
その目的地自体ぼんやりとしていて、自分が何を期待しているのかはっきりしていない。
実は自分が選んでいるわけでもなく、望んでいる目的地ではなかったりするのです。

②のような結構大変だけどやりがいあるし楽しいと感じる頑張り方というのは、
旅の目的地は自分で選んでいる場所で、何か楽しいことが待ち受けている感じ。
目的地に向かってただ歩くだけでなく、道行く景色やすれ違う人たちとの出会いを楽しむ旅。
これなら頑張ること自体が楽しい。


同じ「頑張る」でも①と②では「頑張り方」の違いが大きく、
それが生き方の違いになっていくのですね。


皆さんはどうですか?①と②両方経験しているよ、と言う方も、
①だけと言う方も、②だけだよ、と言う方もいらっしゃるでしょう。

今の私は②の頑張りかなぁと思うけれど、
「死にたい」くらい苦しかった時のことを思い出すと①の頑張り方をしていました。
それは必死に。


どうして①の頑張り方をしてしまうのだろうか?とまた疑問がわきます。
簡単に②ができれば苦労はないわけです。


どんな人にも必ず「こうあるべき」という生きていくうえで
最低限守りたい自分なりの規律というものがあります。


「人に迷惑をかけてはいけない」
「人との約束は守るべき」
「人から評価され褒められる人でなくてはいけない」
「仕事は100%完璧にこなすべき」
「体調万全で弱音ははくべきではない」
「人の役に立つ人でなくてはいけない」
「退屈な人嫌われる人になってはいけない」
「優しく人に接するべき」
「尊敬される人でなくてはいけない」

などなど、最低限といいながらたくさん規律がある人、
たった一つか二つの規律を必死に守る人と、いろいろあるわけですよね。


「もう、だめだ、自分の価値がない、生きていたくない」と考えてしまうのは、
自分なりの規律が守れなくなったとき、もう頑張れなくなったときです。



そんなとき「そこまで思いつめることもないじゃない?」
「もっと適当でいいじゃない」と人に言われても、
そう簡単に自分の生き方の規律を取り外すことはできなんです。


ずっと子供のころから家族の中で、
集団の中で知らず知らずのあいだに刷り込まれてきた自分なりの規律。
その規律とは実は、人とのつながりを保つために作り上げてきたもの。

自分が「ここ」にいてもいい、自分が生きることを許されているような、
自己肯定感と安心感を作り出している大事なもの。


その規律を保とうとして頑張り、それが守れないと感じた時
死んでしまいたいと思うくらい辛い。

そして、自分の規律が守れなかったとき人は自分を責める。


「どうしてできないんだ!」「なんで間違えたんだ!」
「最低だ!」「自分を許せない!」「自分はダメだ!」
「もっと頑張れない自分が悪い!」「だらしない!」
と自分で自分を攻撃する。


この怒りは健康な精神を破壊し、楽しみと生きる意欲を破壊します。

自分を責めることがどれほど辛く苦しいことか。
人が体験する精神的苦痛の中で最も大きいものかもしれません。

自分に向けられる怒りは、健康を営むための大切な「睡眠」と「食欲」へも向い、
それらも破壊していくのです。



もし家族がこの状態になっていたら、
自分から動くことは不可能なので病院に連れていく必要があります。
睡眠と食欲がなくなり、身体が動かなくなる状態までになると薬で治すしかありません。
でも、「頑張り方を変える」のは薬では治らないのです。


頑張り方を変えたり、自分を責めなくても生きていけるようになるにはどうしたらいいのでしょうか?


「とにかく頑張る人」の頑張る元には「不安」が潜んでいるわけです。
「恐れ」と言ってもいいかもしれないですね。
自分の規律を守らなくては大変なことになるという「恐れ」が。

だから、まず自分の規律はなんだろうかとじっくり考えてみる。

そして、自分の気持ちをあるがままに認めていくことが、生き方を変えていく基礎になります。
毎日感じるその時々の気持ちを一つ一つ表現していくことが具体的な方法です。


感情が苦しくなった今日の場面を思い浮かべて
〈疲れた、もう駄目だ〉
〈すこしずつゆっくりならできるかも〉
〈でも頑張れなかったらどうしよう〉
〈でもなにかやってみよう、しっかりしなくては〉
〈こんなことでいいのか不安になっちゃう〉


などと頑張る気持ちも挫ける気持ちそのまま表現できるようになると
心の緊張が解き放され、癒されていくことでしょう。
緊張がゆるんでくると自然に落ち着いてきます。

〈私またムキになってるわ、今頑張ってるよ、やれやれ〉
なんて思えたらいい調子。


自分の頑張りの底、原点が見えてくると頑張り方が変わってくるでしょう。


①の頑張り方がマイナスで②の頑張り方がプラスなのだからといって焦って
①→②に置き換えようとするのは難しいかもしれません。
なぜ自分が①の頑張り方をしたのかな、と考えると
それなりに深い事情があるはずでそれを理解することが何より大事です。
①である自分をとことん理解して受け入れることができると、自然に頑張り方も修正されていきます。


自分が小さいころから作り上げてきた頑張り方、生き方には深い人生の意味が込められています。
簡単には変わらない。
でも、変わらないことに気づけば、変わる。
そこには自己受容と自己理解があるからです。



自分が抱えてきた辛い生き方、その特徴に気づくこと。
その生き方を取り入れた理由をみつけること。
それを背負ってきた自分を愛おしく思うこと。


以上を心にとめながら、「とりあえず」やってみることが
あなたの可能性をより深く輝かせることになると信じています。

by exkokoro | 2011-03-31 00:00 | 家族 | Comments(0)

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